福井県

新善光寺城(正覚寺)~越後守護の拠点

新善光寺城

越前・新善光寺城(しんぜんこうじ-じょう)は、越前・府中城や、龍門寺城から500mほどしか離れていない、平城で最初の築城時期や築城者は不明です。

延元年間(1336年~1339年)には、越前国の守護となった足利一門である足利高経(斯波高経)が、新善光寺城を拠点にして北朝方に属していました。

南朝方の新田義貞が金ヶ崎城にて籠城するなどしたため、同じ南朝方の杣山城主・瓜生保と瓜生義鑑坊らが、1336年に新善光寺城を攻撃して陥落しましたが、まもなく足利高経(斯波高経)は奪還したようです。

しかし、延元3年(1338年)に金ヶ崎城から杣山城へ逃れていた新田義貞と脇屋義助らが攻めて、新善光寺城は再び落城しましたが、1340年には、斯波高経の将である得江氏・天野氏などにより再び回復しています。
これら、北朝と南朝の戦いには、平泉寺の衆徒も大きくかかわっています。





その新田義貞も燈明寺畷の越前・藤島の戦いにて、斯波高経の軍勢に敗れて討死し、家来の朝倉広景は黒丸城を与えられ、家老・増沢祐徳(増沢甲斐守祐徳)は杣山城を任されました。

ただし、斯波高経は失脚したあと1367年7月13日に杣山城で亡くなりまた。

新善光寺城の跡地にはそれより1年早い、1336年に良如上人(りょうにょ)によって浄土宗・正覚寺が建立された模様です。
現在の本堂は、江戸時代の安政元年(1854年)に火災から再建された建物です。

と言う事で、新善光寺城は、現在の正覚寺境内となっています。
方形居館形式で、本堂の裏手に土塁が残っています。
また、正覚寺にある山門は、越前府中城の表門を移築した物となります。

府中城の表門

新善光寺城跡となる正覚寺への行き方・アクセスですが、JR北陸本線の武生駅から約800m、歩いて12分ほどの距離となります。
当方の日本全国オリジナル地図でもわかるようにしてあります。
近くには龍門寺城・越前府中城・金剛院城もありますので、セットでどうぞ。

越前・府中城~前田利家や朝倉氏に所縁深い北陸道の要所
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お城巡りに便利なお城マップ・カーナビ代わりにも

 

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攻略難易度
中級者向け
旧国名
越前
著者コメント
土塁が少し残る程度ですが、山門は越前・府中城のものとなっています。




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