陸奥・高舘は、遠野市宮守町下鱒沢にある丘城です。
平泉にも、源義経が自刃したともされる高館義経堂があり、名称的に混同しやすいのですが、陸奥・高舘は遠野にあります。
最初の築城などは不明ですが、陸奥・横田城主である阿曽沼氏の家臣・面懸左衛門尉の居城だと伝わります。
しかし、面懸(つらかけ)左衛門尉は、南北朝時代の1334年に謀反を起こします。
角懸(つのかけ)事件とも呼ばれますが、内容は下記のとおりです。
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当時の阿曾沼氏当主・阿曽沼朝綱(あそぬま-あさつな)が、京に上っていた間に、遠野の留守を託されていたのが阿曽沼朝綱の子である阿曽沼朝兼(あそぬま-ともかね)になります。
その阿曽沼朝兼は、面懸左衛門尉と仲が悪かったのか?、滅ぼそうと、陸奥守・北畠顕家の国宣を取り付けます。
その国宣(こくせん)を受け取った陸奥・根城の南部師行(なんぶ-もろゆき)が軍勢を出して、面懸左衛門尉は討たれたと言うのが、角懸事件の内容です。
ただし、本当にあったのかどうか?は、疑問視する声もあります。
確かに、1344年、南部師行は、大光寺城、持寄城の反乱軍に対処しており、とても軍を派遣する余裕は無かったように感じます。
更なる研究がまたれます。
遠野の高舘跡は、現在、八幡神社が建てられています。
そして、面懸左衛門尉が植えたと伝わるエドヒガンザクラという種類の「桜の木」が遠野市の天然記念物になっています。
樹齢は伝承700年とされ、周囲7mにも及ぶ、高舘跡の古桜として知られているようです。
一般的には、高館のエドヒガンザクラ(たかだてのえどひがんざくら)と呼ばれるようです。
ただし、学術的な調査では樹齢300年以上と言いますので、なんとも言えませんが、まぁ、遠野は古い伝説も多い街ですので、1300年頃の一本桜であって欲しいと願います。
ともあれ、遠野の陸奥・高舘に関しては、これ以上のことも不明です。
甚だ簡単ではございますが、ご紹介させて頂きました。
・鱒沢城(鱒沢館) 鱒沢広勝の謀反
・大槌城 三陸海岸屈指の規模を誇る山城
・陸奥・横田城 遠野の領主である阿曽沼氏の本拠地
・鍋倉城(遠野城) 阿曽沼広郷 遠野保・遠野十二郷
・火渡館 火渡の石碑群と火渡館の戦い
・丹内山神社 強力なパワーを発するアラハバキ神の巨岩
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