岩手県

鱒沢城(鱒沢館) 鱒沢広勝の謀反

鱒沢城(鱒沢館)

鱒沢城(鱒沢館)は岩手県遠野市にある標高260mの山城で、比高は結構あり110mほどになります。
別名は鱒沢館(ますざわ-やかた)、上町館と言いますが、屋敷は麓にあり、山城の鱒沢城は詰の城であったと推測致します。

最初の築城は、遠野をおさめた陸奥・横田城主である阿曽沼光綱の次男・阿曽沼守綱が、鱒沢村と小友村の半分を与えられて、上町に館(屋敷)を構えて、鱒沢光綱と称したのが始まりとされます。
恐らくは西暦1500年前後(1470年~1510年頃?)と推測致します。





鱒沢氏は鱒沢守国、鱒沢守光、鱒沢広勝と続いて戦国時代に突入しますが、小友金山の採掘で経済的にもよかったようで、主筋の阿曽沼家に対して忠節ではなかったようです。
そのため、1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、国元が不安定なことから、阿曽沼広郷小田原城に挨拶に行けず、その結果、阿曽沼は独立勢力としての地位を失い、南部家の家臣に組み込まれることになったとも考えられます。
1600年、関ヶ原の戦いで、最上勢に援軍を出した南部信直に従って、阿曽沼広長が出陣している間に、ついに動きます。

鱒沢広勝(鱒沢佐馬助広勝)は、横田城の留守を守っていた上野広吉、平清水平右衛門らと謀反を起こします。
そして、同調しなかった上附馬火渡館主・火渡玄浄を討ちとりました。
更に、五輪峠を封鎖して、遠野へ帰る阿曽沼広長を妨害しました。
阿曽沼広長の妻子らは横田城から抜け出したようですが、五輪峠で殺害された模様です。
帰還を断念した阿曽沼広長は、大船渡近くにある妻の実家である世田米修理の世田米城に逃れました。





阿曽沼広長は、葛西氏の残党などの支援を得て反撃に出て、遠野城の攻防(気仙平田の戦い)にて鱒沢広勝を討ち取ります。
しかし、鱒沢忠右衛門や、平清水駿河(平清水平衛門)・上野広吉らの抵抗には勝てず遠野奪回は失敗し、鱒沢広勝の子である鱒沢広恒(鱒沢忠右衛門広恒)は2200石で新しい横田城主となり、南部利直の妹(養女とも?)を妻に迎えたようです。
しかし、その妻を粗末に扱ったとして、妻が南部家に返ってしまったとも言い、身の危険を感じ出奔したとあります。
>のち、鱒沢忠右衛門は浅沼忠次郎と名を変えましたが、江戸城下で潜伏しているところを発見されて切腹したとも言います。

鱒沢城ほの行き方・交通アクセスですが、麓にある長泉寺の駐車場が拝借できるようです。
その長泉寺は鱒沢館主・鱒沢広勝が開基とされますが、もとは高館(下鱒沢)にあったそうですので、平時の屋敷である鱒沢館は、現在の長泉寺がある場所だったのかも知れません。





阿曽沼氏の家臣などは下記の通りです。

阿曾沼四郎廣縄~廣郷二男 和賀一揆加勢
阿曾沼主計廣重
阿曾沼民部少輔秀範
阿曾沼常陸入道了哲~赤羽城阿部氏唱
阿曾沼又五郎~民部二男

附馬牛中務入道玄浄~附馬牛村火渡城、慶長五年逆臣等の争戦不利自城篭、屡合戦不克、城を焼義死
附馬牛内蔵助~仕利直公三百石、山口新助改、玄浄男
山口金右衛門~内蔵助子
西風舘大学廣敏~西風舘忠義人、逆臣等に説諭せしに不被用、家内応兵を起利あらず討死
大槌孫八郎廣紹~大槌城武勇、逆臣等と屡争戦、利あらず気仙に遁る、後利直公仕し五百石、故有て花巻城にて殺され没収
大槌久右衛門廣重~孫八郎弟、鵜住居村、仕利直公八十石
大槌久八郎~久右衛門の?(文字判読不明)、浪人
菊池半太夫
菊池半左衛門武長~仕利直公
細越与三兵衛敏廣
細越与三郎敏継~敏廣子浪人
細越長十郎備材~敏廣二男、仕利直公
菊池治部助時成
畠中五郎八~本名菊池
畠中藤七
平原備後吉武~本名菊池
平原助左衛門吉成~吉武子、仕利直公三十五石
菊池与十郎
内城四郎左衛門吉昭~本名菊池
内城治兵衛吉輝~四郎左衛門子、仕利直公五十石
内城治兵衛吉正~吉輝子、十五駄二人扶持
宮杜主水祐武~本名菊池、文禄三年仕信利公五百石没収
鬼柳十郎兵衛祐光~宮杜主水男、浪人、鬼柳住後五十石
宇夫方掃部
宇夫方八郎右衛門
宇夫方多兵衛
十二ケ村弾正
十二ケ村帯力益種
平倉長門守盛清
平倉平兵衛
平清水刑部入道禅門~旧臣、男駿河師任ハ鱒沢に一味叛逆を企て?、門子を放論更に不義死
平清水出雲~禅門子、父と同く忠義人、浪人
新谷新右衛門~出雲子、浪人
菊池帯刀~新右衛門子
新谷庄作~出雲二男、仕利直公
新谷六兵衛~出雲三男、仕利直公
新谷六右衛門~六兵衛子
熊谷安右衛門~奥附忠義人
小友刑部
小友喜左衛門~仕利直公
松崎監物~忠義人
大沢寺浄玄房
白岩左衛門
興光寺靭負~忠義人
浅沼忠次郎~仕利直公
浅沼藤次郎~仕利直公
金沢臼太郎~平田討死
浅沼清左衛門~仕利直公
栃内勾当慶都~江刺支族、天正十八年江刺没落の時遠野に来れて潜居し廣郷憐み扶持す
栃内小左衛門廣重~慶都子、仕利直公百石
栃内善兵衛~和賀一揆加
栃内善右衛門
高屋左近則政~江刺臣、天正十八年来り文禄三年卒
高屋四郎左衛門恒延~左近子、仕利直公五十石
高屋三弥恒宣~恒延?
高屋才六則之~左近弟、仕利直公
高屋八右衛門恒方~才六弟
高屋才四郎則房~八右衛門弟
下川原玄蕃恒忠~柏山旧臣、天正十八年来、仕政直君
下川原利左衛門恒長~玄蕃子
及川民蔵恒明~玄蕃子
月舘右京~九戸残党
新田平作~九戸残党





遠野逆臣徒党人物

鱒沢左馬助廣勝~廣影弟より三代、一族、叛主家廣長張本人、主君追出し度に合戦、利直公の加勢得て勝、慶長六年於平田討死
鱒沢忠右衛門廣光~左馬助廣勝男、仕利直公二千石、左馬助改名、驕奢放蕩、利直公糺明有之由承り出奔、追手懸り自害し断絶
鱒沢千代松~忠右衛門子、上野右近に殺さる
鱒沢修理亮廣純~左馬助長男、夭卒
鱒沢造酒允村廣~左馬助弟、天正末死

上野右近廣則~一族丹波守廣吉男なり、廣長の家老、鱒沢廣勝一味叛逆。主君を追出、仕利直公二千石、遠野城代
上野九右衛門廣高~右近嗣実弟、元和七年卒
上野久兵衛廣易~九右衛門子、寛永三年京死、没収
上野角右衛門弘房~久兵衛子、御徒被召出
平清水駿河守師任~旧臣刑部入道、鱒沢一味叛逆、主君を追出し仕利直公千石、慶長十九年江戸勤番、北十左衛門の故にて没収、切腹
駒木豊前廣道~一味、仕利直公五百石
駒木隼人広三~豊前子、三百五十石
駒木六兵衛廣安~豊前弟
本宿老之丞家久~気仙郡鈴木氏分流、仕遠野本宿村給り改本宿、慶長六年仕利直公八百石、閉伊郡惣司
本宿因幡家重~家久男、百五十石
本宿弥次右衛門家治~因幡男、八十石
本宿半之丞家盈~因幡二男
平倉新兵衛盛任~一味気仙討死
平倉刑部~始新助
平倉新八
末崎式部清茂
末崎清右衛門
大沢与左衛門秀久
板択平蔵
板択金三郎
大原新左衛門





大槌城 三陸海岸屈指の規模を誇る山城
陸奥・横田城 遠野の領主である阿曽沼氏の本拠地
鍋倉城(遠野城) 阿曽沼広郷 遠野保・遠野十二郷
火渡館 火渡の石碑群と火渡館の戦い
陸奥・高舘 遠野にある高舘跡
花巻城 稗貫氏の本拠地と稗貫広忠
当方のオリジナル東北地図

 

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陸奥
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道路は狭いです。




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