岩手県

陸奥・横田城 遠野の領主である阿曽沼氏の本拠地

陸奥・横田城

陸奥・横田城(よこた-じょう)は、岩手県遠野市にある山城で、標高は321m、比高は50mです。
護摩堂山にあり護摩堂を設置していたことから護摩堂城とも呼ばれます。

最初の築城は、阿曽沼氏となります。
阿曽沼氏(あそぬまし)は、不摩城(下野・秋葉城)である足利有綱の4男・阿曽沼四郎広綱が祖で下野国安蘇郡阿曽沼(栃木県佐野市浅沼町)の阿曽沼城が本貫でした。
同族には佐野氏などがいます。





阿曽沼広綱は源頼朝に味方し、1183年、野木宮の戦い、1189年、奥羽平定で戦功があり、陸奥国・遠野保(遠野十二郷)の所領を得ます。
そして、阿曽沼広綱の次男・阿曽沼親綱が鎌倉時代の初めに遠野に赴いて遠野・阿曽沼氏となりました。

佐野の阿曽沼氏のほうは戦国時代には佐野氏の家臣になっており、阿曽沼与重の名が見受けられます。
しかし、遠野の阿曽沼親綱は護摩堂山に陸奥・横田城を築き、遠野に勢力を張りました。

陸奥・横田城

南北朝時代になる1334年、阿曽沼朝綱の頃には南朝に属して陸奧国司・北畠顕家から遠野保を安堵されています。
ただし、次男である阿曽沼次郎は大槌城主となって大槌次郎と称し、北朝に味方したようです。
このように、遠野を中心に、阿曽沼氏は周辺に一族が分家していきました。

1437年、永享の乱になると、気仙沼の岳波太郎(すわ-たろう)と唐鍬崎四郎(からくわざき-しろう)が赤羽峠を越えて遠野に進軍し、大槌城の大槌孫三郎も呼応して、阿曽沼秀氏の陸奥・横田城を攻撃しました。
岳波太郎と唐鍬崎四郎は、気仙沼の実力者である、千葉伯耆守(ちばほうきのかみ)に仕えていたようですが、才覚に乏しい主君だったようです。
そのため、千葉氏を攻撃するのに阿曽沼秀氏に援軍を頼んだようなのですが「そんなことをするのは不忠であり許しがたい」と断れたのを恨み、逆に阿曽沼氏を攻撃したと言う事になります。
この時、三戸城の南部守行が700騎にて阿曽沼氏に援軍を出し、宮森で夜営中に急襲を受けた大槌孫三郎らは大敗しました。
ただし、そのあとの大槌城の戦いにて南部守行は矢を受けて死去しています。

戦国時代になると、陸奥・横田城主である阿曽沼広郷は武勇もあったようで、田瀬・鱒沢・小友・綾織・宮森・大槌・釜石と遠野十二郷を支配する大勢力になっていました。

陸奥・横田城

しかし、一族の結束は万全ではなく、不安定な支配だったようです。
また、城下の猿ヶ石川が頻繁に洪水を起こすことから、鍋倉山に新城を築くことになります。

こうして、陸奥・横田城は廃城となって、南にある鍋倉山に新城を築くと、阿曽沼広郷は居城を移しました。
ただし、新しい城の名前も、横田城としたため、混同しないよう注意が必要です。
その新しい横田城は、南部氏の支配となると、陸奥・鍋倉城と名称が変わっています。





まぁ、当然、鎌倉時代には山の上に住みませんので、詰の城であり、平時は麓に屋敷があったものと推測します。

陸奥・横田城への交通アクセス、行き方ですが、当方のオリジナル東北地図にて場所がわかるようにしてあります。
付近に駐車場はありませんが、道路は駐車禁止ではありません。

今回、まだ寒い時期で無理はしませんでしたが、本丸部には現在、薬師堂があり、登山道が整備されているようです。
近くには、阿曽沼氏、歴代の墓所もあります。

鍋倉城(遠野城) 阿曽沼広郷 遠野保・遠野十二郷
大槌城 三陸海岸屈指の規模を誇る山城
鱒沢城(鱒沢館) 鱒沢広勝の謀反
火渡館 火渡の石碑群と火渡館の戦い
遠野ふるさと村 懐かしい風景が再現されている時代劇ロケの聖地

 

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中級者向け
旧国名
陸奥
著者コメント
遠野の古城です。




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