越後・江上館(えがみやかた)は、新潟県胎内市本郷町にある平城で、国の史跡(奥山荘城館遺跡)になっています。
この奥山荘城館遺跡(おくやまのしょうじょうかんいせき)として国指定の史跡となっているのは下記の城跡・史跡などです。
江上館跡(本郷町)・鳥坂城跡(羽黒)・倉田城跡(関沢)・野中石塔婆群(野中)・小鷹宮境内地(村松浜)・韋駄天山遺跡(平木田)・蔵王権現遺跡(蔵王)・黒川城跡(下館)・臭水油坪本郷町(塩沢)・金山城館遺跡(新発田市金山)・坊城館跡 (西本町)・古舘館跡(古舘)。
奥山荘城館遺跡は、新潟県北部の荘園「奥山荘」に関する史跡のことを言います。
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このページで取り上げる、江上館跡は、中条町の南部、旧潟湖に隣接する扇状地の扇端部にあります。
標高は約18mの微高地で、三浦和田氏の惣領家である中条氏の居館跡と伝わります。
館の周辺には、家臣団屋敷や寺院などが存在していました。
鎌倉時代のはじめにに、三浦・和田義盛の一族である和田義茂が奥山荘の地頭となりました。
1247年、鎌倉での和田の乱にて多くの一族は討死しますが、ひとり幕府側について戦ったのが和田義茂で、朝比奈義秀に討たれています。
その功績もあり、奥山庄の地頭職は妻・津村尼に安堵され、のち3男・和田時茂が当主になりました。
そして、建治3年(1277年)に北条、中条、南条に分割されています。
中条を相続した子が中条氏を称し、戦国時代には中条藤資が上杉謙信の筆頭家老となっています。
また、北条を称した庶子は、越後・黒川氏を名乗り、戦国時代には黒川清実を輩出しています。
一部は、会津に移ると黒川城を築城して、会津・黒川氏となりました。
南条氏はと言いたいところですが、南条氏ではなく、関沢氏を称したようです。
他にも、築地氏、長橋氏、羽黒氏、高野氏、金山氏などの庶子家を出しており、惣領制的支配を展開しました。
時は流れて1426年、中条房資が揚北衆と一緒に、越後守護代・長尾邦景の配下である三条城主・山吉氏を攻撃します。
このとき、加地氏・新発田氏らは守護代方に寝返って、中条房資に反撃しました。
長尾定景・長尾実景が山吉氏の援軍として築地に着陣すると、中条房資は居館を引き払って河間城にて籠城していますので、鳥坂城は使われなかった模様です。
ただし、1453年には「鶏冠城をこしらえる」と、新城を築いたような表現があり「子孫においても捨てるべからざるものなり」と、ずっと使用するようにと書き残しています。
要するに、江上館から移って、鳥坂城を本城にした模様です。
中条氏はその後、上杉謙信に従い、中条藤資は上杉家の家臣で筆頭となりました。
上杉謙信の急死により、御館の乱になると、中条景泰は上杉景勝に味方して、上杉景虎(北条三郎)についた黒川氏から攻撃を受けて落城しましたが、乱は景勝勢が制しています。
その後、中条景資・中条景泰も上杉景勝の家臣となっていますが、越中・魚津城の守備を任された際に、柴田勝家に攻撃され落城し中条景泰は切腹しました。
まさに、本能寺の変があった、1582年6月2日の翌日のことです。
その後、中条三盛(なかじょう-みつもり)が鳥坂城に入りましたが、まだ幼かったため、中条家の家老・築地資豊が名代後見となっています。
慶長3年(1598年)、上杉景勝が会津移封となると、鳥坂城は廃城となりましたが、中条三盛は出羽・鮎貝城主となり10000石と家臣分3300石を知行しています。
関ヶ原の戦いでは、最上攻めに出陣し、水原親憲らと共に戦いました。
米沢藩でも幕末まで侍頭や執権、奉行などの重職を中条家が担いました。
江上館は複郭の平城になっており、高い土塁に囲まれた方形の主郭を中心にして、南北に曲輪もあったようです。
戦国前期に拡張したと考えられる外曲輪や馬出し形式の虎口などもあります。、
館跡は復元整備されており、隣接した場所に「奥山荘歴史館」があります。
詰の城は、約3km離れた、越後・鳥坂城(白鳥要害)となります。
ただし、戦国時代に争いが多くなると、中条氏は、やがて山城の鳥坂城に本拠を移したと考えられています。
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奥山荘歴史館の営業期間は、4月~11月のみで朝9時~17時まで。(冬季休館)
定休日は、月曜日(休日の場合は翌日)で、入館料は大人100円でする
※高校生以下・65才以上・障害者は無料
交通アクセスですが、JR羽越本線の中条駅から徒歩20分となります。
無料駐車場がある場所は、当方のオリジナル地図でもわかるようにしてあります。
住宅化が進んでいる地域ですが、土地所有者などの理解もあり、史跡整備されている点は、関係者のご努力など、とても評価できると存じます。
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・御館の乱 上杉謙信死後の壮絶な跡継ぎ争い
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・新潟の城跡などの場所が分かるオリジナル地図
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