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相模・和田城とは
相模・和田城は、神奈川県三浦市初声町(三浦郡和田郷)にある平城です。
源頼朝の鎌倉幕府創設に大きく貢献したことが認められ、初代・侍所別当を任された和田義盛(和田小太郎義盛)の居城・館となります。
和田義盛の父・杉本義宗は、鎌倉の相模・杉本城ですので、和田義盛が16歳のときに父が死去したあと、鎌倉杉本城から和田郷へと移って居館を築いたとされています。
和田義盛は三浦義明の孫であるため、三浦一族の庇護も受けたものと推測しますが、実は三浦氏の宗家筋は和田義盛でした。
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もともとこの辺りは広大な穀倉地帯だったようで、三浦一族の食料庫や開拓拠点として館があったようです。
三浦一族が強かった背景には、この食糧豊かな三浦から兵糧の補給が滞りなくできたからとも考えられます。
そして和田義盛は三浦一門として源頼朝の平家打倒に協力し、従兄弟の三浦義村と共に鎌倉幕府の重臣となったのです。
和田館には、木曽義仲の妾・巴御前が預けられて、余生を送ったともされます。
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しかし、1213年、2代執権・北条義時との間に確執が生じると、北条義時の挑発に乗る形で、北条氏を討つために挙兵します。
有名な和田合戦となると、同族の三浦義村に裏切られて敗北し、一騎当千と言われた和田一族は横山党・横山時兼などと共に鎌倉・由比ガ浜で最後を遂げました。
周辺は住宅や農地などになっており、和田城の遺構をうかがい知ることはできませんが、下記の地図ポイント地点に和田城の石碑と解説板が道路脇にあります。
和田義盛旧里碑
近くにある天王社の境内に「和田義盛旧里碑」があります。
これは大正時代に建てられたそうですが、末永く地元でも慕われているのがわかります。
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