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相模・杉本城の解説~杉本義宗・杉本義茂(和田義茂)・斯波家長

相模・杉本城

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相模・杉本城

相模・杉本城とは

相模・杉本城(すぎもと-じょう)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある山城で、大蔵山に築かれています。

場所 : 相模国
形態 : 平山城
比高 : 約40m
天守 : なし
築城者 : 杉本義宗
築城年 : 平安時代末期
主な城主 : 斯波家長
指定文化財 : なし

相模・杉本城

理解するのが少し難しいのですが、鎌倉の中にあり、鎌倉で最も防御性が優れた城と言えます。
鎌倉全体を「鎌倉城」とも言いますが、それは鎌倉幕府が置かれた鎌倉時代の事と言えるでしょう。
その他の時代においては、鎌倉全体での鎌倉城とは呼ばず、もっと細かな地名などで場所を表記したため、ここでご紹介場所の城名は、相模・杉本城と言う事になります。

杉本義宗

最初の築城は、平安時代末期とされ、三浦義明の嫡男・杉本義宗(1126年生まれ)が、ココ鎌倉郡杉本に屋敷を構えました。
杉本義宗の妻は、大庭景継の娘です。
当然、屋敷は、麓を通る街道・六浦道(金沢街道)沿いにあったものと推測されますので、山城は詰の城だと考えられます。
ただし、山の相模・杉本城は、街道監視の砦程度の運用だったと考えられます。


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杉本義宗(すぎもと-よしむね)は、安房への進出を試み、長狭常伴の安房・金山城を攻略しようと出陣します。
しかし、三浦水軍を率いて、海から上陸しようとしたところ、矢弓を受けて負傷し、三浦に退却しました。
その後、療養していたようですが、相模・杉本城で死去したとあります。享年39。

弟の三浦義澄大多和義久は、のち源頼朝に味方して大活躍していますので、嫡流の杉本義宗(三浦義宗)も、生きていれば、鎌倉幕府で要職についたことでしょう。

相模・杉本城

杉本義宗の嫡男は、相模・和田城にて和田義盛となり、三浦一族として鎌倉幕府では、侍所の初代別当となっています。
相模・杉本城には、次男・杉本義茂(和田義茂)が入りました。

杉本義茂(和田義茂)

1180年、源頼朝が挙兵し、石橋山の戦いに、三浦義澄・大多和義久・和田義盛など、三浦一族は参じますが、このとき、杉本義茂(和田義茂)は杉本城に残って、留守を守ったとされます。
三浦一族は、増水した酒匂川を渡れず、三浦半島に引き返す際、鎌倉の由比ヶ浜で畠山重忠と遭遇します。
和田義盛らと畠山重忠らは、お互いに知る間柄で、攻撃するつもりはなかったようです。
しかし、事情を知らない、杉本城の和田義茂が援軍として由比ヶ浜に到着すると、畠山勢に討ちかかり、小坪坂の戦いとなってしまいました。


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そして、畠山重忠は、河越重頼・中山重実・江戸重長・金子氏・村山党などの援軍を得て、衣笠城の戦いとなっています。
老齢だった三浦義明は討死し、三浦一族は、安房へ逃れて、源頼朝らと合流しました。
この時、安房の長狭常伴が、源頼朝を襲撃したため、三浦義澄が討ち取ったとあります。
源頼朝が鎌倉に入るとね杉本義茂(和田義茂)は、源頼朝の側近として寝所警護などを担当しました。

斯波家長

鎌倉幕府が滅亡して、南北朝時代になると、室町幕府将軍・足利尊氏は、鎌倉に嫡男・足利義詮(あしかが-よしあきら)を入れて、東国武士を統括させます。
このとき、足利義詮を補佐する武将として、斯波家長(しば-いえなが)が関東管領となり、鎌倉に入りました。
しかし、南朝後醍醐天皇の命を受けて、義良親王を奉じ、奥州の鎮守府将軍となったいた、北畠顕家(きたばたけ-あきいえ)が、東北から南下し、1337年12月、足利義詮や斯波家長・桃井直常らが守る鎌倉を攻撃しました。
朝夷奈切通から鎌倉に入った北畠顕家・北条時行・新田義興らを、斯波勢は、相模・杉本城にて迎え撃ちます。
そして、杉本城の戦いとなりましたが、3日ほどで落城したようで、17歳の斯波家長も討たれ、相馬重胤も自刃しました。
足利勢としては約300名が命を失ったとされ、中腹の杉本寺の境内に、斯波家長の五輪塔と伝わる石仏群があります。

斯波家長の墓

足利義詮・上杉憲顕・桃井直常・高重茂らは、房総へと逃れています。
約5ヶ月後、高師直が石津の戦いにて、北畠顕家を討ち取りました。


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その後、相模・杉本城が、使われた形跡はないため、城跡は見学できる状態とは言えないようです。
唯一、有料拝観となる、中腹の杉本寺が、遺構と言えば、遺構になるかと存じます。
どうしても、本丸へ登りたい場合には、杉本寺からではなく、北側から入ると、行けるようです。

交通アクセス

杉本寺までは、JR鎌倉駅・東口5番乗り場から、京急バス[鎌23]太刀洗行き、[鎌24]金沢八景行き、[鎌36]ハイランド行きのいずれかに乗車して、杉本観音バス停下車の徒歩2分です。
鎌倉駅から歩くと、杉本寺の入口まで、所要約30分になります。
駐車場はありませんので、付近のコインパーキング利用となりますが、どこも小規模で、そんなに止められるところはありません。
今回は、東洋カーマックス・鎌倉二階堂駐車場が空いていたので、利用させて頂きました。


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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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