近江・田中城(たなか-じょう)は、滋賀県高島市安曇川町田中にある標高220m、比高60mほどの山城です。
別名は、上寺城、上の城、田中砦と言い、高島市の田中城と表記する場合もあります。
最初の築城は、鎌倉時代の後期に田中実氏(田中播磨守実氏)とされます。
この田中氏は、近江守護の佐々木氏が、六角氏・京極氏・高島氏と別れて行き、その近江・清水山城の高島氏の一族となり、高島七頭のひとつでした。
そして、高島・七カ寺のひとつに数えられる松蓋寺(しょうがいじ)があったそうで、その遺構を一部利用する形で田中城が整備されたようです。
1570年4月、織田信長が越前・朝倉義景を攻撃する際に、その経路で「田中の城」に立ち寄ったとありますが、それが近江・田中城ではないかとされています。
軍勢は、熊川城を経て、佐柿の若狭・国吉城へと進みました。
その後、浅井長政の勢力が伸びていましたが、1573年に織田勢が攻略すると、以後は、近江・坂本城を築いた明智光秀の領地となりました。
この頃までに、田中氏は没落して帰農したようですが、その田中氏を出自とする田中吉政は、宮部継潤に仕え、国友与左衛門の娘(宮部継潤の養女)を正室に迎えています。
田中吉政は、関ケ原の戦いのあと32万石にて柳川城主にまで出世しました。
2002年には、公園整備され、散策路なども設けられたと言う事で見学しやすい城跡になっているようです。
スポンサーリンク
近江・田中城への交通アクセスですが、JR安曇川駅から横山・田中線バスに乗車して、馬場バス停下車し、徒歩約20分です。
クルマの場合、田中神社の参拝者用の無料駐車場が利用できるようです。
このあとは、五番領城に向かいました。
・田中吉政とは~誰からも愛され関ヶ原で武功を挙げた戦国武将
・坂本城 明智と共に隆盛し滅びた琵琶湖の名城
・五番領城 高島七頭と山崎左馬介
・近江・清水山城 高島七頭宗家の本拠地
・大溝城 琵琶湖の名城も今はこの姿
・明智光秀「ゆかりの地」岐阜・近江・丹波など
・日本全国のお城地図(オリジナルマップ)
この記事へのコメントはありません。