富山県

越中・宮崎城 越後からの侵入を防ぐ重要拠点

越中・宮崎城




越中・宮崎城(みやざきじょう)は、富山県下新川郡朝日町にある山城で、越後との境であることから、別名は境城、荒山城、泊城、堺城と言います

北陸浜往還の抑えとして機能させた山城の標高は249m、比高は209mですが、宮崎城と言う名称の城も日本全国にあります。
越中や能登はこのように同じ名前の城が多いです。

最初の築城は平安時代末期の寿永2年(1183年)には、木曾義仲が越後から越中に進軍した際に、豪族の宮崎長康(宮崎太郎長康)・南保二郎・入善小太郎などが協力したとされます。
そして、以仁王の皇子・北陸宮を越中・宮崎城に迎え入れて御所にしたともされています。
倶利伽羅峠の戦いにて有名な「火牛の計」は、宮崎太郎が献策したと言う説もあります。





その後、南北朝時代には、越後守護・上杉憲顕の家臣・長尾景忠が南朝勢が籠城した宮崎要害を攻撃した勝利したとあります。

戦国時代に、上杉謙信が椎名康胤の越中・松倉城を攻略して越中への足掛かりとすると、重臣の柿崎景家らが越中・宮崎城を守備したと言いますので、とても重要な城であったことが伺えます。

織田勢が越中へ侵攻して、魚津城・松倉城が陥落したあとは、佐々成政の支配下となり丹羽権平が入りました。
本能寺の変のあと、佐々成政が羽柴秀吉に対抗すると、秀吉の命を受けた上杉景勝が新川郡に進入して、300籠っていた越中・宮崎城を一度陥落させています。

越中・宮崎城

その後、前田利家の領地となり、家臣の高畠織部が入りました。
翌年の1587年には、小塚権太夫が宮崎城主となりましたが、1602年に御幸塚城へ移っており、廃城となったようです。
その後、1614年に、加賀藩が境関所を設置し、全国でも最大級の規模の関所(箱根関所の2倍)となりました。

現在、越中・宮崎城跡は、山の上の憩いの場のような感じで公園整備されています。
本丸の周りに石垣が設けられていますが、太平洋戦争時に日本陸軍が電波技術研究所を造るために改変し石垣や土橋の工事もした模様です。
ただし、三の丸の石積みは、戦国時代のものようようです。

交通アクセス・行き方ですが、あいの風とやま鉄道の泊駅からタクシー約20分になります。
クルマの場合、城山公園の無料駐車場まで、登っていくことが可能です。

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