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金沢城とは
加賀・金沢城(かなざわ-じょう)は、石川県金沢市丸の内にある平山城で、標高は60m、比高は30mほどの丘にあります。
古くは、尾山御坊(金沢御堂)と言う浄土真宗の寺院があった場所になります。
そのため、別名は尾山城、尾上城、金城とも言います。
現在は金沢城址公園として整備されており、日本100名城、国の史跡となっています。
金沢城を一周して参りましたので、見どころやポイントを混ぜながら、金沢城の歴史をご紹介したいと存じます。
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金沢御堂は、戦国時代の1546年頃に建立されましたが、一向一揆の拠点として寺院でありながら、城郭・城塞として柵を張り、水堀も巡らしました。
要するに尾山御坊(おやまごぼう)は、大阪の石山本願寺と同じく防御に優れた、北陸における本願寺の拠点でした。
各写真は、雨の日に撮影させて頂いたものと、晴れの日に撮影したのと2種類混ざっておりますので、ご容赦願います。
本願寺蓮如(れんにょ)が吉崎御坊を追われたあと、富樫泰高(とがし-やすたか)が1488年に加賀守護として擁立されます。
守護職を命じるのは室町幕府の将軍と言う事になり、第9代・足利義尚の時代と言う事になります。
しかし、富樫泰高が守護になれたのは、加賀一向一揆(かがのいっこういっき)が中心になって内乱に介入したためです。
本願寺実如(じつにょ)は、管領・細川政元との繋がりもあり、室町幕府を動かしたと言う事になりますが、一向衆は強い影響力を持っていました。
こうして、加賀の統治は、事実上、一向一揆が行うようになり、尾山御坊(金沢御堂)も建造されたと言う事になります。
そして、一向一揆は上杉謙信、その後、織田信長と対立し、大阪の石山本願寺が1580年に降伏すると、大聖寺城主・佐久間盛政が尾山御坊を陥落させました。
佐久間盛政は跡地を修繕して築城すると金沢城と名付けました。
1583年、柴田勝家が賤ヶ岳の戦いにて羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敗れます。
この時、柴田勢だった佐久間盛政は敗走し、捕縛されると羽柴勢に引き渡され、のちに自刃しています。
一方、同じ柴田勢だった小丸山城・前田利家は寝返り、羽柴秀吉に味方すると北ノ庄城を攻めたため、新たな所領として佐久間氏のあとの金沢城の加増を受けて。
そして、一向衆への配慮や出身地である「尾張国」にも漢字が似ていたことから尾山城と改称しています。
特に、1587年、キリスト教禁止令にて、所領没収になった高山右近が、前田家の世話になっており、尾山城の大改修を指揮したともされ、再度、名前も金沢城に戻っています。
どうやら、金沢城と言う呼び方が定着していたため、戻したようですが、加賀・越中にて加賀藩百万石の礎を築きました。
1592年、前田利家の子である前田利長は、再度、金沢城に改修を施しており、このとき天守が設置されたようです。
1598年、家督は前田利長が継承しましたが、隠居の前田利家は豊臣政権において五大老のひとりとなります。
下記は、金沢城・橋爪門です。
そして、豊臣秀吉の遺言にて徳川家康が伏見城、前田利家は豊臣秀頼を後見して大坂城に入りました。
しかし、1599年、前田利家が死去し、五大老も前田利長が引き継いでいます。
ただし、徳川家康は前田家に謀反の疑いをかけたため、母・まつが、自ら人質として江戸城に赴き14年間を江戸で過ごして前田家を救いました。
その結果、1600年、関ヶ原の戦いの際に、前田利長は浅井畷の戦いにて、石田三成に味方した丹羽長重に大敗を喫しましたが、戦後、加増を受けて加賀120万石となり、日本最大の藩・加賀藩が成立しました。
下記は、金沢城の西側にある「玉泉院丸庭園」です。
1602年、落雷で天守が焼失したため、1603年には、代わりになる御三階櫓(望楼型3重4階)が建立されました。
その後、二の丸を藩主の居所にしたようです。
国の重要文化財として、石川門、三十間長屋、鶴丸倉庫が指定を受けています。
下記は、金沢城の鶴丸倉庫。
約30回もの火災により、わずかに石川門と三十間長屋などだけが残りました。
下記は、金沢城の三十間長屋。
見どころは、金沢城の公園だけにはとどまりません。
旧国宝に指定された東照権現(尾崎神社)の本殿、中門、透塀、拝殿、幣殿、また、尾山神社に移築された二の丸御殿唐門、中村神社拝殿として移築された二の丸能舞台などもお勧めです。
下記は、尾山神社にある、金沢城の二の丸御殿唐門。
日本100名城のスタンプがある場所・設置場所は、二の丸案内所(9時~16時30分)と、石川門入口案内所の2箇所になります。
下記は新しく完成した、鼠多門・鼠多門橋です。
金沢城公園へは入場は無料ですが、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の内部は有料拝観となります。
隣接する大名庭園で、日本三名園にもなっている兼六園とのセット券が割引になっていてお得です。
金沢城への行き方・所要時間
金沢城への交通アクセス・行き方ですが、JR北陸本線・北陸新幹線の金沢駅からバスに乗車して約15分、兼六園下バス停下車して徒歩約5分となります。
金沢城の周辺にはいくつか有料駐車場・コインパーキングもあります。
駐車場案内を作ろうかと思いましたが、便利な駐車場情報がありましたので、リンクさせて頂きます。
金沢城の見学所要時間・観光所要時間ですが、さくっと見学するなら、石川門から入って、二の丸「五十間長屋」の内部有料拝観で30分~40分といったところです。
本丸部分は、金沢城の場合、あまり見るべきところがないので、現存建物である「三十間長屋」のところまでで良いでしょう。
そして、私のように、金沢城移築二の丸御殿唐門がある「尾山神社」も見学し、いもり堀の西側をグルッと回ってきますと、60分~90分といったところです。
想像していたよりも時間がかかったと言う印象でした。
当方のオリジナル北陸地図では、金沢城で最低限見ておきたい4箇所をポイントしてあります。
もちろん、国の特別名勝・兼六園と一緒にどうぞ。
金沢城や兼六園近くの駐車場は下記の情報も参考になります。
このあと、金沢大学附属病院に行くクルマの渋滞に、思いっきり、ハマりました。
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