岩手県

雫石城(雫石御所)とは 高原である雫石の奪い合いも

雫石城(雫石御所)

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石城(しずくいし-じょう)は、岩手県岩手郡雫石町字古館の標高200mにある丘城で、比高は10mと、周辺より少し高い所にあります。
別名としては、古くは滴石城と書き、雫石御所・八幡館とも呼ばれました。

最初の築城は不詳ですが、鎌倉時代のはじめに、平忠正の孫・平衡盛が、大和国三輪より陸奥国磐手郡滴石荘に下向したとされます。
平衡盛(たいらのひらもり)は、奥州攻めで戦功をあげ、滴石荘の戸沢村に屋敷を構えると、戸沢氏を称しました。
更に、その子・戸沢兼盛は、1206年に南部氏から攻められて、山を越えると、出羽国の山本郡門屋(かどや)に進出し、出羽・小山田城を築きました。
ただし、その後も、雫石は戸沢氏の領地として回復したようですが、戸沢氏の本拠は門屋城から戻ることはありませんでした。


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南北朝時代になると、滴石城も改修されたか、新築されたかで、今の場所にあると言う事になり、雫石・戸沢氏が治めたようです。
その後、南朝の武将である北畠顕信が、1346年~1351年頃、4年間程度、滴石に滞在して周辺の豪族に支援を募り、指揮したことから、雫石御所と呼ばれる所以となりました。
やがて、出羽の戸沢氏宗家は、1423年に角館城を築城して勢力を拡大します。

戦国時代の1532年に、戸沢氏は城主の配置換えをおこなった記録があり、滴石城には手塚左衛門尉が入っています。
この頃の雫石・戸沢氏の家臣団は手塚氏、長山氏、木村氏、田口氏、舘市(高橋)氏、用の沢氏、橋場氏が知られています。


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その後、滴石の戸沢政安は、南部晴正の重臣である石川城主・石川高信によって攻撃を受けたようです。
1540年、雫石城には、石川高信をはじめ、福士伊勢、一方井刑部左衛門、日戸氏、玉山氏、工藤氏らが押し寄せました。
戸沢政安は、手塚氏、長山氏とともに滴石城にて戦いましたが敗れ、手塚氏は討死し、長山氏は自らの手で長山城を焼き払い、戸沢十郎政安と一部の家臣は角館城に落ち伸びました。

現在の雫石城址にある八幡宮は、滴石城主・手塚左衛門の氏神でした。
その秋田街道の両側を挟むように、雫石城が築かれていたようです。
南部領となった滴石を、高水寺城の斯波詮高が攻撃したようで、一度は、石川高信に撃退されますが諦めず、1546年に次男・斯波詮真(しば-あきざね)が入って雫石詮貞(しずくいし-あきさだ)と称し3000貫文にて「斯波・雫石御所」を開きました。
この頃、雫石に改名しています。

雫石城(雫石御所)

また、遠野の陸奥・横田城主・阿曾沼氏の一族である綾織広信(綾織越前広信)が、雫石御所を頼って逃れて来たとも、軍師として迎えられたとも言われています。
綾織越前は滝沢の地に、灌漑用堰を1586年頃に完成させています。

しかし、南部信直の代になると、1584年~1586年まで何度も雫石城が攻撃を受けて、周辺を徐々に失います。
1586年、雫石御所の3代目・雫石久詮(しずくいし-ひさあき)は、繋舘市城主・高橋出雲を三戸城に送って、和平交渉をしましたが高橋出雲は捕縛され、また南部勢に攻撃されました。
ついに、雫石久詮は「よしゃれ」の故事(後述)を残し、雫石城を捨てて戸沢氏の家臣・手塚左京に譲ると、陸奥・高水寺城に逃れたと言います。
その手塚氏も繋舘市城に退却したため、雫石城に残ったのは百姓ばかりだったとされ、雫石城は落城しました。
高橋出雲は許されて釈放され、手塚左京は仙北角館に落ち伸びたと言います。


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1591年になると、南部信直は雫石城に八日町太郎兵衛を入れました。
しかし、1592年、豊臣秀吉の一領主一城の方針にて、雫石城は破却されています。
ただし、江戸時代には雫石代官所が置かれたようです。

薬研堀(やげんぼり)の跡などがあるそうですが、街道沿いは宅地化されており、遺構はほとんど残っていません。


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雫石町の祝いの席では必ず「よしゃれ」が唄い踊られてきました。

これは、雫石城には水の手として、葛根田川上流から地下水路を使って用水を敷いていたそうです。
そして、この水路が南部勢に発見されないよう、茶屋を設けて、美人の女将に見張らせていたと言います。
南部勢は隠密を使って水源を察し、ついに茶屋に目を付けて、女将に水路の秘密を聞き出そうとしましたが、見破られてしまったという話が、歌詞になっています。
その後、踊りが付けられて、民俗芸能・雫石よしゃれになった次第です。

雫石城への交通アクセス・行き方としては、JR秋田新幹線・田沢湖線の雫石駅からタクシーで約5分となります。
今回は止めることが見つからなかったのと、3月も終わろうとしている時期でも雪が降って来たため、道路から写真1枚だけ撮影して退散しました。
城址付近には駐車場が無いので、雫石駅の駐車場に停めると徒歩15分となります。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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