秋田県

門屋城(戸沢氏城館) 360年間繁栄した戸沢氏の原点

門屋城(戸沢氏城館)

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出羽・門屋城(かどや-じょう)は、秋田県仙北市西木町にある標高140m、比高60mの平山城で、戸沢氏城館とも呼ばれます。
城の分類としては崖の端っこにあると言う事で「崖端城」(がけはし-じょう)とする場合もあります。

最初の築城はかなり古く、北浦重任(北浦六郎重任)の居城であったとされます。
平安時代に陸奥国奥六郡(胆沢郡、江刺郡、和賀郡、紫波郡、稗貫郡、岩手郡)を治めた奥州安倍氏・安倍頼時の6男が、北浦重任(安倍重任)(しげとう)と言う事になります。
奥州藤原氏の初代・藤原清衡は甥にあたります。


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しかし、安倍氏は朝廷から派遣された陸奥国守と勢力争いとなり前九年の役となります。
1062年、厨川の戦い(厨川合戦)にて源頼義らに敗れて、北浦重任は討死しました。
安倍氏の棟梁・安倍貞任も深手を負って命を落とし、奥州安倍氏は滅亡しています。
なお、安倍晋三・内閣総理大臣は、この奥州安倍氏のご子孫と言う事になります。

門屋城

その後、鎌倉時代になると、1220年、門屋城のすぐ北にある、出羽・小山田城に戸沢兼盛が入りました。
そして、1228年に出羽・門屋城を整備して居城を変更したと伝わります。

門屋城(戸沢氏城館)は、シンプルですが意外にも規模は大きいようです。

土器、石小刀、石鏃、石槍、石棒、須恵器も出土していることから、蝦夷(先住民)がチャシとして使用していた可能性もあります。
山の裏側に、隠れ里もあったり、なかなかおもしろい場所です。

出羽・門屋城

戸沢氏の出自に関しては諸説ありますが、平維盛より始まった桓武平氏の流れとも、奥州藤原氏の郎党であったともされます。

戸沢氏は、戸沢親盛・戸沢克盛・戸沢勝盛・戸沢玄盛・戸沢英盛・戸沢氏盛・戸沢伊盛・戸沢行盛・戸沢豊盛・戸沢泰盛・戸沢家盛と続き、1423年、戸沢家盛の時に手に入れた角館城へ本拠を移したとされます。

戸沢氏が角館城(小松山城)に入った後、門屋城は一族の門屋嘉兵衛尉や、宮内大輔頼盛が守備し、戸沢三十五城のひとつとなりました。
しかし、1590年、豊臣秀吉の命により廃城になっています。


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現在、門屋城(戸沢氏城館)の本丸跡には三嶽神社が建立されています。
なお、登城口付近には、駐車スペースがあります。
当方の東北オリジナル地図にてわかるようにしておきます。

門屋城の東には、初代の戸沢兼盛が隠居したと伝わる古堀田城もありますので、次に近くまで行ってみました。

出羽・小山田城 戸沢兼盛が最初の本拠地にした山城
古堀田城 戸沢氏の重要な支城
角館城 6歳で家督を継いだ戸沢道盛の復活劇
田沢湖 知っておきたい観光情報
陸奥・衣川柵(並木屋敷) 安倍頼時と安倍貞任
東北の城跡や観光地が分かるオリジナル地図


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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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