秋田県

出羽・小山田城 戸沢兼盛が最初の本拠地にした山城

出羽・小山田城




出羽・小山田城(こやまだ-じょう)は、標高140m、比高50もほどの山城で、戸沢兼盛(戸沢平九郎兼盛)が築城したとされます。
戸沢兼盛は、滴石(岩手県石町)にいましたが、鎌倉時代の1206年に南部氏から攻められて、もうひとつの知行地である門屋小館(秋田県仙北市西木町西明寺)に移りました。
この時に、詰めの城として出羽・小山田城を築いた模様です。
ただし、1220年に門屋に移ったともあり、正確な移動年ははっきりしません。





なお、1228年には、少し南の地に出羽・門屋城を築城しました。
それまでの間、短い期間でしたが戸沢氏の本拠地になっていたのが、出羽・小山田城と言う事になります。

出羽・小山田城

門屋城へ移ったあとの出羽・小山田城の城主は、家臣の小山田小平太と言う名が見受けられますが、その後の城主に関してはわかっていません。
しかし、この頃、重要な城を一族以外の武将に任せることはあまりありませんので、この小山田小平太も、恐らくは戸沢氏の庶流の可能性があります。

出羽・小山田城

なお、地元には戸沢兼盛が獅子踊を伝えたとされる「小山田ささら」と言う踊りがあります。
小山田の観音堂の祭礼で、出羽・小山田氏の家臣が踊り、武運長久を祈願したと言います。
しかし、1601年~1602年と言いますので、佐竹氏が久保田城に入り、蘆名義広角館城に入った前後だと存じますが、出羽・小山田氏はこの地を去ることになった模様で、小山田に住む赤倉善助に伝承されました。
それ以降は、小山田の人々によって、毎年祭礼の時に舞が奉納されているそうです。

下記は、その小山田ささらの動画を共有表示したものです。

ちなみに、秋田県大仙市の強首にこの頃に根を張って、豪農中の豪農を務めた小山田氏がおります。
その旧小山田家住宅が現在 「樅峰苑」と言う温泉旅館になっており、小生も宿泊させて頂きました。
その小山田氏は、佐竹氏の移封に伴い、水戸から転居してきたとも言い、もとは武田信玄武田勝頼に従っていた小山田信茂の系統とも言います。
これが正しければ、郡内の小山田家の一族に、佐竹家を頼って逃れた者がいたと言う事になりますが、史料がある訳でもなく不透明です。
ただし、まったく佐竹氏と接点がないと言うわけでもなく、誰の姫なのかはわからないのですが、甲斐の武田一族から姫が佐竹氏に嫁いだと言うかなりローカルな伝承があります。
この武田一族ですが、武田家に従っていた郡内・小山田氏も、武田家とは縁戚ですので、同じ一族と言えます。
その佐竹(恐らくは佐竹氏の一族)に嫁いだ姫の娘が、常陸から甲斐に向かう途中、高尾山近くの山中にて命を落とした白百合姫伝説があったりします。
武田滅亡後には真田家や北条家に仕えた小山田一族がいます。
そのため、上記の縁などから佐竹氏が小山田氏の生き残りを家臣に加えたり、または佐竹の家臣や一族に、小山田姓を称するのを許された者がいて、佐竹氏の移封に同行したとしても、おかしくないとも言えます。
なお、これは、小生の勝手な憶測なのですが、この出羽の小山田氏の可能性も捨てきれないのではと考えます。
話が脱線してしまい、大変失礼いたしました。





なお、小生が知る限りですが、小山田城と言う名の城跡は日本には他にもあります。
一番よく知られているのが、鎌倉時代の御家人として活躍し、相当な勢力を誇った、武蔵・小山田城があります。
他にも薩摩・小山田城があります。
しかし、出羽の小山田城に関しては情報が少ないのが現状です。

雫石城(雫石御所)とは 高原である雫石の奪い合いも
門屋城(戸沢氏城館) 360年間繁栄した戸沢氏の原点
古堀田城 戸沢氏の重要な支城
角館城 6歳で家督を継いだ戸沢道盛の復活劇
強首温泉「樅峰苑」日本秘湯を守る会会員の宿で国の登録有形文化財
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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