山梨県

甲斐・椿城(甲斐・上野城) 大井信達と大井の方の出身地

甲斐・椿城(甲斐・上野城)

甲斐・椿城(甲斐・上野城)は、山梨県南アルプス市上野にある平山城で、標高は412m、比高は90mになります。
北側に一ノ瀬川が流れており、その絶壁は天然の要害で、東側も傾斜があります。
しかし、南側・西側は台地の続きで、あまり防御力はなさそうです。
恐らくは、背後にある甲斐・中野城を詰め城としていたのでしょう。





これまた、ややっこしいのですが、甲斐国には「上野城」と呼ぶ城跡が他にもあります。
例えば、甲斐・勝山城などです。
そのため、ここでは、甲斐・椿城をメインとして記述させて頂きます。

最初の築城は、小笠原長経の七男・上野盛長(上野六郎盛長)が、この上野の地を知行し、甲斐・上野城を築いたようです。
父・小笠原長経は、加賀美氏をおこした武田遠光(加賀美遠光)の2男・小笠原長清(小笠原次郎長清)の子となりますので、武田一族と言う事ですね。
なお、小笠原長清は、源頼朝より信濃守を任じられて、のち信濃の小笠原氏の祖となりました。
この付近に椿の木が多かったことから、椿城ともと呼ばれるようになったとされます。

甲斐・椿城(甲斐・上野城)

上野氏は3代で途絶え、そのあと秋山氏の養子が継いだ模様です。
その後、南北朝時代になると、武田氏10代・武田信武の次男・武田信明が上野を領し、大井信明と名乗るようになりました。

戦国時代になると、大井信達(おおい-のぶさと)が甲斐・椿城(甲斐・上野城)主で勢力を誇りました。
そして、武田宗家と対立しましたが、1515年、まだ若き武田信虎が甲斐・富田城を攻めて、大井信達を降伏させています。
この甲斐・富田城があった場所は、まだ判明していません。

その和睦の証として、大井信達の娘が、1517年頃に武田信虎の正室として嫁ぎました。
この女性が「大井の方」で、1521年に、武田晴信、のちの武田信玄を産んでいます。

大井信達も、戦上手の武田信虎にはかなわず、1520年に今諏訪の戦いで再び敗れると隠居し、家督を嫡男の大井信業(おおい-のぶなり)に譲りました。

甲斐・椿城(甲斐・上野城)

本重寺の北側にある駐車場の脇には、大井一族の墓があります。
下記の大きいのが「大井信達の墓」になります。

大井信達の墓

大井信達は大井宗芸、武田高雲斎とも号しました。
1525年には、大井の方が、次男・武田信繁をもうけています。

ちなみに、海ノ口城の戦いにて命を落とした猛将・平賀源心も大井一族ですが、佐久の信濃・平賀城を任されたため平賀姓を称していました。

甲斐・椿城(甲斐・上野城)への交通アクセスですが、JR中央本線の甲府駅からバスで、JAこま野野之瀬支所のバス停下車して徒歩5分となります。
上記の墓がある駐車場は、当方のオリジナル関東地図にてわかるようにしておきます。

周辺には、地下式坑と言う地下室がいくつもあるようで、今でも陥没することがあり、椿城には秘密の抜け穴があるとも伝わるようです。

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