秋田県

出羽・本堂城 本堂茂親 小勢力ながらも生き延びる

出羽・本堂城

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出羽・本堂城(ほんどう-じょう)は、秋田県仙北郡美郷町の標高43mにあり、斉無川(矢島川)を天然の堀に利用した平城になっています。
最初の築城はよくわかっていませんが、戦国時代の1535年頃に本堂氏が築いたとされ、堀や土塁などの遺構が明瞭に残っています。
この本堂氏は源頼朝の末孫と称しており、鎌倉時代の前期になる1220年、和賀忠頼の3男・和賀忠朝が陸奥国和賀郡に土着したとあり和賀氏の庶流と考えられます。
本堂義親、本堂頼親、本堂朝親、本堂忠親と続きました。
ただし、もともとは、山城である元本堂城を本拠としていたようで、1535年に、本堂伊勢守忠親が本堂城を築いて居城を移したと言う事になります。
堀は2重になっていた模様です。

出羽・本堂城

なお、角館城の戸沢氏とは姻戚関係もあったようですが、安東氏、小野寺氏、戸沢氏ら周辺の勢力からは独立していたとみられます。
ただし、横手城主・小野寺有道の3男である小野寺道政が、本堂駿河守と称していますので、婿入りした可能性も否定はできません。

出羽・本堂城

1585年には、本堂忠親の嫡男・本堂茂親(ほんどう-しげちか)が生まれています。
本堂忠親は、1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、いち早く小田原に参陣し8983石の本領を安堵されました。
1600年、関ケ原の戦いでは徳川家康に味方し、本堂忠親と本堂茂親は、最上義光に協力して上杉景勝に対抗しました。
横手城主・小野寺義道の領内で発生した仙北一揆でも、一揆鎮圧にて活躍しています。
その後、一時、伏見城に詰めましたが、1601年6月、出羽に減封となった佐竹氏と入れ替わって、常陸国新治郡志筑(かすみがうら市)の常陸・笠松城に8500石となり、徳川家の旗本として存続しました。
本堂茂親は1604年に江戸城の堀普請、1609年は笠間城の勤番、1614年大坂冬の陣にも参じると、大坂夏の陣では二条城の留守居役を務め、伏見城、遠江・久野城、陸奥・岩城城、大坂城、甲斐・谷村城甲府城の勤番などを歴任しました。

出羽・本堂城

本堂茂親は、最終的にはどこかの勢力に完全に飲み込まれることなく、旗本として戦国時代の激動を生き延びていますので、その点は評価するに値すると存じます。
なお、1645年からは志筑城跡に志筑陣屋を構え、幕末まで至りました。

本堂城への交通アクセスですが、JR秋田新幹線・奥羽本線の大曲駅からバスに乗車して館間バス停下車となります。
払田柵(ほったのさく)の端っこまでは徒歩約15分の距離です。

訪問した際には、ちょうと、本堂城の正面に当たり、案内板などがある場所が「道路工事」で大型重機がはいっており「通行止」(立ち入ると危険な状態)でした。
そのため、工事の警備員さんから不思議そうにみられながら、クルマで未舗装の田んぼ道を低速走行し、外周部だけの探索となりました。
なお、駐車場はないようです。

本堂氏の重臣・堀田氏の居城である出羽・堀田城もそんなにとおくありません。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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