茨城県

志筑城 下河辺政義 廃城となるも志筑陣屋として復活

志筑城




常陸・志筑城(しづく-じょう)は、茨城県かすみがうら市中志筑にある丘城になり、江戸時代には陣屋が置かれたことから志筑陣屋とも言います。
北側などは深田に囲まれ、南側に自然の掘を擁した天然の要害になっています。
本丸跡には志筑小学校がありましたが、2011年に閉校になった模様です。

最初の築城は鎌倉時代初期で、茨城南部の地頭職であった下河辺政義(益戸氏)が1181年に築いたとされます。
下川辺氏は下総国葛飾郡下河辺荘(古河市付近)が発祥で、小山氏の一族にもなる藤原北家の藤原行政の子・藤原行義が下川辺氏を称して始まりました。





下河辺政義(しもこうべ-まさよし)は、兄・下河辺行平や小山朝政と共に源頼朝の挙兵に参加しています。
そして、下河辺左衛門尉政義は戦功を挙げ志筑の地頭職となりました。

下河辺氏

正室は河越重頼の娘で、子孫は野本氏もいますが、志筑城では常陸・益戸氏を称しています。

志筑城

南北朝時代、5代益戸顕助(益戸下野守?)と益戸国行の父子は、小田城主・小田治久と共に南朝に味方しました。
そして、北朝に加担した常陸・府中城主である大掾高幹としばしば争っています。

1341年、常陸・小田城が落城したと聞くと、益戸国行は志筑城を捨てて、一族の小山氏を頼って逃れました。
その後は、廃城になっていたようで、戦国時代にも、志筑城の名は出てきません。

志筑城

関ケ原の戦いのあと、1602年、常陸を統一していた佐竹氏が秋田・久保田城に移ると、代わりに出羽・本堂城から本堂茂親が8500石の交代寄合旗本として移ってきました。
ただし、最初は、南にある常陸・笠松城に陣屋を構えた模様です。
1645年からは、志筑城跡に志筑陣屋を構え、廃藩置県まで本堂氏12代の居城として続きました。
下記は、県道138号線沿いにある志筑陣屋移築門となります。

志筑陣屋移築門

本堂氏を慕って来た龍山和尚が、中志筑に長興寺を開いており、本堂家の菩提寺となっています。
今回、時間がなく、北側からの遠景のみ撮影してみました。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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