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勝幡城 織田家が躍進を遂げる本拠となっていた平城

勝幡城

尾張・勝幡城(しょばた-じょう)は、愛知県愛西市勝幡町と稲沢市平和町六輪字城之内にある平城です。

最初の築城は、平安時代の帰属・大中臣氏(おおなかとみうじ)である尾張権守・大中臣朝臣安長(大中臣安長)が屋敷を構えたと考えられます。

この大中臣安長は、現在は大須にある長福寺(ちょうふくじ)の七堂伽藍と十二僧坊を稲沢市七ツ寺町に移して1167年に再建しています。
※長福寺は戦国時代に豊臣秀吉によって清洲に、徳川家康によって現在の大須に移転。





戦国時代となって、その館跡に、1504年頃、勝幡城が築かれました。
築城したのは尾張下四郡の守護代「織田大和守家」の庶流で、清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」当主の織田信定(織田弾正忠信定)となります。
織田信定は織田信長の祖父にあたり武将です。
下記は日光川の堤防下に埋もれている、織田弾正忠平朝臣信定古城蹟です。

織田弾正忠平朝臣信定古城蹟

もともと、この辺りは塩畑(しおばた)と呼ばれていたようですが、縁起が悪いということで、織田信定か織田信秀が「勝ち旗」の意で「勝幡」に改名したとされます。

勝幡村古城絵図によると、勝幡城は東西約87m、南北約127mの城域をもつ方形の城郭で、勝幡城は二重の堀で囲まれ、三宅川が外堀にもなっていました。

勝幡城

そして、織田信長の父・織田信秀は、尾張守護の斯波義達や主家・織田達勝をも上回る勢力となって行くのです。
要するに、織田家は、斯波義達の家臣である清洲城主・織田達勝のそのまた家臣(家来)と言う立場でしたが、戦国大名にと踊り出るわけですね。

織田信秀は、1532年に今川氏豊の那古野城を奪うと、本拠を那古野城に移しました。
そのため、勝幡城には家臣の武藤雄政(武藤掃部)が入っています。

勝幡城

なお、諸説ありますが、土田御前が産んだ織田信長は天文3年(1534年)に勝幡城で生まれたとされます。

弘治元年(1555年)、織田信長は主家・織田大和守家を滅ぼすると本拠地を清洲城に移しました。
勝幡城主の武藤掃部も、尾張・野府城へ移ったため、勝幡城は使われなくなり、やがて廃城になった模様です。

なお、勝幡城跡は、江戸時代の1812年、水野千之右衛門によって日光川の流れが変わり、跡地の大半が失われており原型を留めていません。

日光川

日光川に架かる「よめふりはし」の東詰めに石碑があり、橋には勝幡城の復元図が描かれているとのことです。





名鉄津島線藤波駅から徒歩約15分です。
駐車場はありません。

名鉄・勝幡駅の北口には、織田信秀と妻の土田御前、そしてまだ子供の織田信長(吉法師)の銅像があります。

土田御前と子供の織田信長(吉法師)の銅像

数少ない遺構の場所などは、当方のオリジナル地図にてわかるようにしてあります。

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