鹿児島県

志布志城と鎌田政近【続日本100名城】松尾城・内城・高城・新城からなる城郭群

志布志城(内城)

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志布志城とは

志布志城(しぶしじょう)は、鹿児島県志布志市志布志町にある山城です。
志布志城の特徴と致しましては、ひとつの城と言う事ではなく、志布志にある内城・松尾城・高城・新城の4つの独立した城郭のすべてを総称として「志布志城」と読んでおり、その規模の大きさから続日本100名城にも選ばれました。
最初の築城はよくわかっておらず、鎌倉時代の初期に救仁郷平八成直が志布志の松尾城に居たという記録があるように、これまた名前がややっこしいのですが、志布志城のひとつである松尾城が当初は主城だったようです。

ただし、その後に造営されたと考えられる、志布志城の内城(トップ写真)が規模としては一番大きく、国指定史跡にもなっています。
下記は、その内城を西側から撮影したものです。

志布志城の内城

内城の案内柱も道路脇にありました。

志布志城の内城

下記は志布志城の高城です。

志布志城(高城)

南北朝時代、救仁院(志布志)の松尾城主は楡井頼仲(にれい-よりなか)で、足利尊氏が派遣した畠山直顕、禰寝清成が志布志へ侵攻します。
楡井頼仲は大隅の肝付兼重に加勢を求め、弟・楡井又四郎頼重は加瀬田城に入りましたが、1351年、志布志城は落城します。
そして、楡井頼仲は弟・楡井頼重とともに胡麻崎城(胡麻ヶ崎城)へと後退しますが、1358年、禰寝清増の攻撃により弟・楡井頼重は討死し、楡井頼仲は志布志近郊の大慈寺で自刃しました。

その後、島津氏久が志布志で畠山直顕を蹴散らしたため、1365年頃からしばらく島津氏久は志布志城を本拠としたようですが、鹿児島・清水城に移ります。
そして、新納院高城が陥落した新納時久が志布志・松尾城に入ったとあります。
ちなみに、新納時久の墓は、矢倉場にあるそうです。


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なお、島津氏は楡井姓の名跡を惜しんだようで、楡井氏の縁戚にあたる加世田の別府氏に「仁礼」(にれい)の名を与えて、薩摩仁礼氏が成立しました。

幕末には、西郷隆盛の弟・西郷吉二郎の後妻(西郷園子)は仁礼平蔵(仁礼景範)の妹とあります。
ただし、その頃、鹿児島城下に仁礼姓は多いので、直系かどうかは不明です。

戦国時代となり、1538年に新納忠勝は北郷忠相と島津忠朝に降伏して、志布志城は豊州島津氏の島津忠朝が治めます。
その後、永録元年(1558年)以降、肝付城(高山城)主・肝付兼続が毎年のように志布志城を攻め、1562年に肝付兼続の城となりました。
その肝付氏も肝付兼亮のとき、都之城主・北郷時久に敗れ、1574年には島津義久に降伏するのです。

下記は志布志城の新城方面です。

志布志城の新城

鎌田政近(鎌田政親)

1577年(天正5年)、肝付氏平定後の志布志城は島津氏の直轄地となり、地頭として鎌田政近(かまた まさちか)が志布志城に入っています。

鎌田政近は鎌田氏庶流の鎌田政勝の子です。
優秀な武将だったようで、1578年に伊東崩れ伊東義祐が豊後に逃れると、鎌田政近(鎌田政親)が都於郡城主となりました。

耳川の戦いでは、山田有信とともに大友勢を日向・高城で防いで勝利に貢献しています。
その後、沖田畷の戦い岩屋城の戦いにも参戦して活躍し、主君・島津義久の命でにて、病弱だった鎌田政良の後継として宗家に養子で入り当主になりました。


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1591年に鎌田政近は島津家の家老となり、関ヶ原の戦いで西軍についた島津家の戦後処理の交渉を担当します。

鎌田政近は、島津義久・島津家久の代理として、伏見城にて徳川家康と会見し、本多正信と交渉しました。

当時、島津家が匿っていた宇喜多秀家を引渡し、東軍に奪われていた佐土原城を島津家に返還させるなどで合意に達し、島津家の存続に大きく貢献しました。
この功績により、慶長9年(1604年)に薩摩・指宿の地頭となり、鎌田政近は指宿城主となりました。

慶長10年(1605年)9月朔日、鎌田政近は京都伏見にて病死。享年61歳。

志布志城の4つの城は、遊歩道も比較的整備されており、見学しやすいです。
ただし、城下町はほぼ商店街のようになっているうえに、道も狭いため、交通量もそこそこあると言う感じです。


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職務質問を受ける

お陰様で、初めて志布志を訪れることができました。
志布志城は、ひとつではなく、隣の山もお城と、城跡で囲まれているような状況ですのでね。
どれが、何城かな?と、街の中を、運転に注意しながら、レンタカーで、キョロキョロしていたのが、なんだか怪しいように感じられたのだと思います。
行き過ぎて、安全な場所で、Uターンすることは、城訪問で、よくあることですが、内城のほう行って、戻ってきたら、パトカーとスレ違いました。
そのあと、志布志城の観光駐車場(当方の九州地図参照)に入って、安全な場所から、トップの写真を撮影すると、そのパトカーもどこかでわざわざ反転してから、あとを追って駐車場に入ってきて「職務質問」を受けました。
沖縄から北海道まで、日本全国の城めぐりをし「こんにちは」なんて地元の皆様に挨拶しますと「よく来たね~」と暖かい声を賜ることが多いです。
警察官でしたら、クルマがレンタカーであるのも、一目でわかるでしょうし、快く協力し、免許証見せました。
遠くから来たのもご理解頂けたはずですが、志布志では「何しに来きた」と、冷たく質問を受けたので、少しショックです。
何も入っていないのに、トランクを開けろだとか・・、宮崎空港から、ここまで、やっとこ来たのに、テンションも下がりに、下がってしまいました。
とても残念な気分となり、志布志城の登城をする気もなくなった次第です。
まだ、松尾城の遠景も撮影していなかったのですが、志布志では自分はよそ者なんだなと感じて、そのまま次の日向・松山城へと向かってしまいました。
関東からですと、そうそう気軽に訪れることができる場所ではありませんし、残りの人生の時間を考えても、もう、訪れることも、叶わないでしょう。
住んでいる近くでは、何度か、職務質問を受けた経験がありますが、あとにも先にも、城訪問で、職質受けたのは、志布志だけです。
例えばですが、福井城は、県警本部があるところで、福井県警の建物脇を歩いて通り抜ける必要がありますが、それでも、職質されません。(まぁ、当然ですが)
この無駄とも思える冷たい職質で、志布志の皆様の治安が守られているのであれば、私ひとりの気持ちなど、些細な事かも知れません。
しかし、あとで、この記事を見るたびに、鹿児島で、いやな経験したことを、思い出するのも事実です。

日向・飫肥城と風情ある城下町は超オススメの観光スポット
日向・松山城~往時を偲ぶ堀切なども見どころ
都之城とは~都城を守りきった名将「北郷忠相」
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伊東義祐~日向から南九州の覇権を争うも伊東崩れで没落
日向・松尾城(縣城)~日向の延岡にて勢力を誇った土持氏最後の本拠
伊東祐兵~所領を失うも巧みに戦国を生き抜き3万6000石にて復活
佐土原城~伊東家の本拠としても栄華を誇り天守もあった山城
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コメント

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  • コメント (3)

    • 吉元 章
    • 2021年 4月 03日

    山頭火も志布志で巡査に叱られ、傷ついて都城へむかったそうです。町中に碑があります。

    秋の空高く巡査に叱られた
                種田山頭火

    せんだって小生の内城あたりでうろうろし、一旦停止違反で捕まりました。
     

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    • 城迷人たかだ
    • 2021年 4月 03日

    吉元さま、コメント恐れ入ります。
    内城で一時停止違反とのこと、心中、お察し申し上げます。
    無知なため、山頭火も、同じように、職質を受けていたと言うのは、吉元さまのご指摘で、初めて知りました。
    ありがとうございます。
    私も、吉元さまの博識を見ならい、更に見分を広めて参りたいと存じます。(^-^)

    • 麦田
    • 2023年 9月 19日

    吉元様、はじめまして。鹿児島の麦田ともうします。私の父親の母である、はあちゃんは、鎌田家の出身で、ばあちゃんの生まれ育った家の近くの親戚から家系図を見せてもらったことかあり、そのとき、鎌田政親の子孫だと知りました。それよりも、志布志警察署の警官に、いやな対応されたとか。わたしは、志布志方面を担当の代わりに配達をしており、配達から1週間後に配達先の従業員の車にバックでぶつかり傷を付けたと疑われました。わたしの会社の車は、まったく傷は、ついておらぜ、志布志警察署は、私の車の右後ろのタイヤカバーの内側で傷を付けたと結論づけられました。だれが、見ても私の車には、傷はついていないのに、私のせいにせられました。志布志警察署は、鹿児島県に住んでいる人ならおおくの人が、知ってると思うのですが、冤罪をつくるのが、得意な警察署だと、いうことです。

城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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