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金子十郎家忠館(武蔵・金子氏館)
金子十郎家忠館は埼玉県入間市木蓮寺にある丘城。
通常は金子氏館、金子館と呼ぶものであるが、金子家忠の武勇が有名なためか、武将名をつけた館として呼ばれることが多いものと考える。
ただ、金子氏館と言うと三鷹に武蔵・金子氏館があるため、入間の金子氏館は金子十郎家忠館と呼ぶのが適切なのかも知れない。
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金子氏はもともと平安時代末期・武蔵七党の一つ村山党の一族で、村山氏館の村山家範(いえのり)が入間郡金子郷に居住し、金子六郎(金子家範)を称して金子氏の祖となった。
金子家忠
金子家忠(かねこ いえただ)は、平安時代末期の武将で1138年に生まれたとされる。
父は金子家範。
弟に金子親範がいる。
兄・金子高範は庶子?だったようで、難波田城を領して難波田氏となった。(3男ともある)
金子家忠は19歳のときに保元の乱が発生し、村山党の一族・仙波家信らと共に後白河天皇の源義朝に従っている。
源為朝が守った白河の御殿を攻めると、高間兄弟を一騎討ちで倒す活躍をした。
平治の乱では源義平のもとに参じている。
これらの功績にて伊予国新居(愛媛県新居浜市)などの地頭を得た。
金子家忠の次男・多賀谷家政は、多賀谷重光の養子となって騎西庄に入った。
1180年、源頼朝が挙兵した際には、平家に従っていた畠山重忠・河越重頼・江戸重長らが三浦氏の本拠地・衣笠城を攻撃した。
このとき村山氏が金子家忠・金子親範を伴って平家側の武蔵国勢として参陣している。
金子家忠は、21本の矢を受けたとあるが一歩も退かず、敵の三浦義明も感嘆したと伝わる。
しかし、和田義盛にあごの下を射られると退却した。
その後は源頼朝に従い、平氏追討では源義経の軍勢に加わった。
南北朝期以降も本領である金子郷を維持しており戦国時代に至った。
山内上杉氏に属した金子氏など村山党の一族は長尾景春に協力している。
同族と考えられる金子掃部助は、相模・小沢城に籠城して上杉勢と戦ったが太田道灌に敗れている。
戦国時代の1546年、北条氏康が河越城の戦い(河越夜戦)で扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力が衰退すると、大石定久は北条氏康の3男・北条氏照を娘婿に迎え、事実上、大石氏が北条氏の傘下に入った。
このとき、村山党も大石氏と共に小田原北条氏に属しており、金子家長も北条氏康に従った。
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1590年、豊臣秀吉の小田原攻めでは、八王子城の戦いの際に、北条氏照の重臣になっていた金子家重(金子三郎右衛門家重)は八王子城の金子丸を守備して討死している。
なお、武蔵・松山城の上田朝直は小田原城に詰めたため、留守を任された金子家基(金子紀伊守家基)は、山田直安、難波田憲次、若林氏にと上杉景勝に降伏すると上杉勢の先鋒として八王子城の戦いに参じていた。
戦国の習いとは言え、人生わからないものである。
金子家定の子・金子政熙は北条氏滅亡に上杉景勝に仕えたが、関ヶ原の戦いのあとに上杉景勝が米沢城に減封となると浪人し、京都守護代・板倉勝重に仕えたあと毛利家に仕えた。
金子氏一族の宝篋印塔
霊園の大きな駐車場から階段を登って左手にある茂みの上段に金子氏一族の宝篋印塔がある。
金子氏一族の宝篋印塔は中央上が金子十郎家忠で、右に弟・金子親範、三男・金子高範、左に長男・金子家広、嫡男・金子家繁、下段には金子家忠の妹のほか高範を除く4人の夫人の法名が刻まれていると言う。
執筆時点でGoogleマップで表示されている場所は間違いの為、注意が必要。
金子十郎位牌堂
金子十郎位牌堂は、その金子家忠墓所の入口近くにある。
かつては瑞泉院が墓地も管理していたが廃寺となってしまっているので、こんな形で金子十郎位牌堂が残されたのであろう。
金子十郎家忠館(武蔵・金子氏館)は、現在の入間霊園と言う大きな墓地(墓苑)の一角にあると言う感じになっている。
ここはかつて「瑞泉院」(ずいせんいん)があったとされるが、すっかり霊園となっていて土地が改変されているため、平安時代に丘の上に屋敷があったのか?、それても麓にあったの?は、地勢からも読み取れない。
しかし、一般的に屋敷は低いところにあり、尚且つ水運利用のため川のそばに館を構えた可能性も高い時代のため、金子家忠の館としては別の場所にあって、有事の際の砦として背後の山を利用したような気がする。
ただ、桂川近くには武蔵・今井城もあるので、これまたなんとも言えない。
となると、霊園の南側に屋敷があったと考えるのが妥当か?
もしかしたら、トイレがある駐車場が屋敷跡なのかも?しれない。
いずれにせよ、南に面しており日当たりは最高で生活しやすい場所だ。
交通アクセス
JR八高線の金子駅から徒歩15分。
入間霊園の大きな駐車場とトイレを利用できる。
駐車場の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
徒歩でも自転車でもナビとしても使えるのでご活用頂ければ幸いだ。
このあとは同じく八王子城で戦った中山家範館に向った。
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