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小見川城の歴史解説~千葉氏一族「粟飯原氏」の居城

小見川城

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小見川城

小見川城(おみがわじょう)は、千葉県香取市小見川にある平山城で比高は50mほど。
別名は粟飯原氏城とも言う。

最初の築城としては、鎌倉時代の初期になる建久年間(1190年〜1199年)に、千葉氏の一族・粟飯原朝秀が築いたとされる。


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粟飯原朝秀は、平良文の後裔・平常長(千葉大夫常長)の3男である鴨根常房(鴨根三郎常房)の長男ともされる。
ただし、別の系図では、平常長の4男が粟飯原常基で、千葉氏系の粟飯原氏を称したのが始まりともある。
子の場合、粟飯原常基の子・粟飯原有胤に子がなかったので、粟飯原盛家の6代目の孫・粟飯原朝秀を養子に迎えたともされ、千葉氏で2流あった粟飯原氏は合体したと言える。
このように家系図には混乱も見られ本当のところはよくかわらない。

<注釈> 相模国高座郡粟飯原郷(神奈川県相模原市緑区相原)の横山党・粟飯原氏とは血縁関係はないともされるが、母方の姓名を称した可能性?があるかも。

いずれにせよ、小見川城は粟飯原朝秀が築いたようだ。

小見川城

1213年2月15日、泉親衡の郎党・青栗七郎の弟になる阿静坊安念という僧侶が鎌倉の千葉成胤の屋敷を尋ねた。
源頼家の遺児・千寿丸を擁して挙兵し執権北条義時の打倒を図る計画であったが、粟飯原次郎なる武将が捕縛し、北条義時に突き出されたとある。
その結果、和田義盛の子である和田義直和田義重、千葉胤長、上総広常の甥・臼井十郎、八田知家の子・八田三郎らが翌日に捕縛された。
この時、粟飯原朝秀と3人の子供(粟飯原信秀・粟飯原正秀・粟飯原秀久ら)も謀反の疑いで鎌倉で処刑され粟飯原氏は滅亡したが、粟飯原朝秀の嫡孫・粟飯原胤秀は逃れることに成功すると千葉介成胤に保護され、千葉成胤の弟・千葉寛秀(千葉孫三郎)の家臣となって粟飯原氏を再興したともある。
その後、千葉寛秀が粟飯原氏の嫡流を継承して千田流粟飯原氏となり、その子・千葉常行は千田庄内にも所領を受けた。

鎌倉時代後期には粟飯原常光に嗣子がなく断絶したため、千葉胤宗の子で千葉貞胤の弟である粟飯原氏光が養子に入って粟飯原氏の家督を継承した。
南北朝時代、子の粟飯原清胤(あいはら きよたね)は足利尊氏に重用され室町幕府の政所執事・引付奉行となり下総守も任官した。
千葉氏胤の後見も託されたが、1353年6月、南朝の山名時氏・楠木正儀らとの戦いにて足利義詮・宝池院賢俊とともに出陣し粟飯原清胤は討死している。
その子・粟飯原直胤も奉行人になっており、幕府奉公衆には粟飯原姓も多い。


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戦国時代に入り、小見川城では、粟飯原常次が父・粟飯原胤次とケンカし相模国に出奔した。
そのため、嫡子がいなくなった粟飯原胤次は、1547年、北条氏康の9男・粟飯原光胤を養子に迎えたという。
ただし、粟飯原常次が父・粟飯原胤次に謝罪。
養子の粟飯原光胤は自ら相模・小田原城に戻ったと言うが、粟飯原常次は粟飯原光胤を呼び戻して家督を譲った模様。

永禄3年(1560年)、安房・勝浦城の正木時忠が下総を攻撃した際には小見川城にも来ている。
正木時忠は橋向陣屋(小見川小学校)に布陣したと伝わる。

1557年、本佐倉城主・千葉胤富は、粟飯原胤次(栗飯原入道)に下総・森山城の城主を命じている。

このように粟飯原光胤は、千葉胤富の重臣として活躍したが、1588年に病に倒れ、千葉邦胤の次男・粟飯原俊胤を養子にした。
このように、千葉一族の粟飯原氏は戦国末期まで小見川周辺を領した。
1590年(天正18年)、豊臣秀吉による小田原攻めにて、粟飯原俊胤(粟飯原孫平)は千葉重胤とともに小田原城の北条氏直のもとに駆けつけ、留守の小見川城は落城。

徳川家康が江戸城に入ると松平家忠下総国小見川を領したが、1592年、下総・上代城(下総桜井城)を本拠にした。
その後、1594年、松平家忠は小見川城に本拠を移したが、1600年、伏見城の戦いにて鳥居元忠らと討死。
小見川城は廃城となり、現在は小見川城山公園として整備されている。


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2021年ドラフト3位で横浜DeNAベイスターズ入団した、千葉県香取市出身の粟飯原龍之介(あいばら りゅうのすけ) 選手はご子孫か?

交通アクセス

小見川城への行き方だが、JR小見川駅から約2km、徒歩30分。
小見川城山公園には2箇所ほど無料駐車場(170台)がある。
約5000本ある「桜」が有名で春先は駐車場も混雑か。
駐車場の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
道路が狭めの為、お気をつけて訪問して頂きたい。

もちろん、下総・須賀山城とセットでどうぞ。
このあとは小見川城に向った。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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