成東城
成東城(なるとうじょう)は、千葉県山武市成東町にある標高45mの山城。
別名は鳴戸城。
千葉介常胤の嫡孫・千葉介成胤の子・胤俊が上総国山辺庄鳴戸郷(山武市成東)を領し、成東刑部少輔と称して近隣の郷村を支配した。
千葉胤俊は成東刑部少輔と称したともされ、平安時代末期から鎌倉時代は千葉氏が支配していたと思われる。
最初の築城としては、鎌倉時代の安貞年間(1227年~1229年)に印東師常(印東四郎師常、南郷師常)が上総国武射の南郷を領しており築いたとされる。
この印東師常の父は印東常茂(平常茂)で下総国印旛郡印東荘が発祥。
上総広常の兄が父・印東常茂だが、1180年、富士川の戦いで上総広常に討ち果たされている。
1195年3月10日、源頼朝の奈良・東大寺供養では印東四郎が臼井六郎(臼井有常)、天羽次郎(天羽直常)、千葉二郎(相馬師常)、千葉六郎大夫(東胤頼)、境平二兵衛尉(境常秀)らの上総一族と参列している。
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1284年、成東胤教の娘(成東刑部大夫の娘)・法阿尼が、浄土宗の良忠上人に帰依して、山武市松尾の金尾郷に金照寺建立したと伝わる。
ただ、どういう訳か?、鎌倉時代に名がみえる印東四郎師常(南郷師常)は(1394年〜1428年)にも成東城を築城したとする史料もある。
鎌倉時代と約150年ズレることになるが、この頃は室町時代で金閣寺ができた頃。
印東四郎入道と言う武将がいるので、恐らくは、印東四郎入道が成東城に入ったものと考える。
ただし「印東四郎」と称していることから、吾妻鏡に見える鎌倉時代の印東四郎師常の系統を継承・維持したことには変わりないのであろう。
いずれにせよ史料にも混乱が見られよくわからないと言ったところ。
1455年、原胤房が千葉館を攻撃して、千葉胤直ら一族は千葉城を追われ多古城と志摩城に逃れて兵を募ると、円城寺尚任や、中村郷の中村但馬守、飯高の平山弾正、さらに成東や香取からも援軍が駆けつけたとある。
その後、 室町幕府8代将軍・足利義政が美濃・篠脇城の東常縁を派遣し、副将・浜春利は美濃に帰らず上総・東金城に入り、土気城主も兼ねたともされている。
下総千葉氏・千葉孝胤(ちば のりたね)が本佐倉城を築城して千葉氏の実権を握った。
その頃には鎌倉公方・足利持氏に仕えていた印東氏は衰退したようで、1530年、千葉孝胤の子・千葉勝胤(ちば かつたね)が成東城を修復すると、5男の成東兵部少輔胤定が入り成東八郎(鳴戸八郎)を称したと伝わる。
その跡を成東胤定の子・成東将胤(成東兵庫介将胤)が継いだようだ。
成東勝定(成東将胤)の妻は、上総・森山城主である海上常元の娘(海上山城守の娘)・妙珊と伝わる。
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ここまで成東城が攻撃されたと言う史料は全くないが、いよいよ豊臣秀吉の小田原攻めが始まった。
1590年、成東将胤は家臣の小河豊後・宇津木薩摩・高品玄蕃・北田平右衛門らと本佐倉城に入って城代を務めたが討死したと言う。
そのため、成東城も落城し、千葉氏は北条家とは独立した勢力とは認めらられず、北条家の家臣とされたので所領も改易(所領没収)となった。
徳川家康が江戸城に入ると、成東城には2万石として徳川家の重臣ちゅうの重臣・石川康通が入る。
関ヶ原の戦いで、石川康通が大垣城5万4000石となると、常陸・江戸崎城の青山忠成の領地などになった。
江戸時代の1620年、青山忠俊が岩槻城に移封となり、成東城は使われなくなったようだ。
一方、成東将胤の遺児・成東源五(成東権七郎房胤)まだ4歳だったようで、旧臣に養育され成東郷で帰農したと言う。
その地は矢原屋敷と呼ばれたようだ。 (千葉県山武市成東745)
1613年、江戸崎藩主の青山忠俊が井上正就と共に成東房胤を見出して、徳川家康に会わせようと計画したが東金城に鷹狩りに来た際に失敗。
その後、成東房胤を江戸に呼び出して機会を伺ったが病気になってしまったようで、そうこうしているうちに青山忠俊も岩槻藩に移り、旗本になることは叶わなかったようだ。
<注釈> 江戸時代の成東氏は帰農ではなく浪人で、旧家臣の子孫たちからの仕送りで生活したともある。
現在、成東城跡は成東城跡公園として整備されているが、成東城の裏側と言ってよいかはわからないが、高台の外郭部は住宅地に変貌している。
その城跡の高い所の住宅地の一角に、4台ほどの公園駐車場があり利用できる。
交通アクセス
成東城の行き方だが、駐車場の場所を当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。
このあとは上総・坂田城に向った。
・上総・坂田城のちょこっと解説~木内胤敬や井田胤徳と坂田城の戦い
・東金城の解説~酒井胤敏(酒井敏房)が戦国時代に守った城跡
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