上総・笹子城(ささごじょう)は、千葉県木更津市笹子にある平山城です。
標高は60m、比高は35mほどのようです。
古河公方・足利成氏の命を受けた武田信長(甲斐守護・武田信満の次男)が1458年頃に上総に進出し、庁南城、真里谷城を築きます。
そして、文明年間(1469年〜1487年)に真里谷信興らは椎津城、佐是城、中尾城、笹子城、久留里城、佐貫城、造海城など支城を築いて勢力を拡大させました。
1543年頃、真里谷信隆の弟・武田信茂(武田三郎信茂)が笹子城を任されていたようですが、真里谷氏の家臣・堀内くによしが、武田信茂を中傷したとあります。
その結果、笹子城の武田信茂は謀反の疑いをかけられ、兄・武田信隆(真里谷信隆)の命を受けた、鶴見内匠助と後藤兵庫助が笹子城を攻撃。
武田信茂は討死(自害)して落城したようです。
笹子城は鶴見五郎(鶴見内匠助・鶴見信仲)に与えられましたが、監物河内という武将が後藤兵庫助と謀り、後藤兵庫助の3男を真里谷城主に据えようとしたため、笹子城の鶴見内匠助は真里谷信秋(真里谷大学助信秋、真里谷全方)らに知らせて、監物河内の屋敷を焼き討ちしたとあります。
そのため、後藤兵庫助は娘の嫁ぎ先である大多喜城主・真里谷信清に救援を依頼。
真里谷信清は更に小田原城の北条氏康に援軍を頼んだので、北条氏によって鶴見信仲(鶴見五郎)の笹子城は陥落しました。
後藤氏は、この笹子城を家来に守らせて中尾城を本拠とします。
佐貫城の真里谷信秋(真里谷全方)は、北条氏に対抗するため、久留里城主の里見義堯らに支援を要請し、正木時茂・正木時忠の兄弟らが中尾城と笹子城を攻撃して陥落させました。
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その後、笹子城は正木大膳の持ち城になったようです。
交通アクセス
笹子城への行き方ですが、久留里線の東清川駅から約2.1km、徒歩20分くらいの距離。
笹子城がある場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。
このあとは真里谷城に向った。
・上総・金谷城の歴史解説~里見実堯・正木時茂の活躍
・佐貫城の歴史解説~真里谷全方など上総武田氏と「里見義弘」
・久留里城~南総里見氏全盛期の本拠地に気軽に登ろう
・大多喜城とは【続日本100名城】本多忠勝の居城
・造海城(百首城)の解説~復帰を目指した真里谷信政の頑張り
・真里谷城のちょこっと解説~訪問難易度が高かった房総の貴重な真里谷氏本拠地
・里見忠義と正木時茂 倉吉の大岳院~里見八犬伝発祥の地
・里見義頼と里見義康とは~安房・館山城と共に歩んだ里見家のその後は?
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