香川県

雨滝城と安富盛定~東讃守護代の没落

雨滝城




讃岐・雨滝城(あめたき-じょう)は、香川県さぬき市大川町富田中にある標高253mの山城で、比高は230mもあります。
最初の築城は不明ですが、長禄年間(1457年~1460年)に安富盛長が築いたとされます。

もともと、安富氏は下総の本姓紀氏で、その後、播磨の三ケ月郷を領しましたが、応安年間(1368年~1375年)頃に、細川頼之に従うと讃岐に渡っていました。

細川勝元が、嘉吉二年(1442年)に、細川家の本家と言える細川京兆家を継ぎ、室町幕府の管領として活躍します。
この細川勝元を支えた「細川京兆家の四天王」と言う重臣がいますが、香川元明(香川肥前守元明)、香西元資(香西備後守元資)、奈良元安(奈良太郎左衛門元安)と共に、安富盛長(安富山城守盛長)の名も見えます。





こうして応仁の乱でも活躍する安富盛長は東讃守護代となり、雨滝城を築城したのです。

安富盛定

戦国時代となり、安富盛定(やすとみ-もりさだ)の頃、東讃(とうさん)は、本台山城の香川之景が勢力を拡大し自立の動きを見せており押されていました。
また、三好義賢三好実休)が細川持隆を殺害すると、安富氏は三好家の傘下に下ります。
1562年3月、久米田の戦いで三好実休が牛ぢにするとその子・三好長治に仕えます。
そして、三好家の重臣である上桜城主・篠原長房の娘を、安富盛定は正室に迎えました。
元亀元年(1570年)の事になります。

こうして、、阿波・勝瑞城の三好長治の力を借りて、敵対していた昼寝城主の寒川元隣を攻撃し、安富盛定は虎丸城に入りました。
雨滝城には家臣の六車宗湛が城主となりました。
ちなみに、引田城には矢野国村が入っています。

しかし、元亀4年(1573年年)に、妻の父である篠原長房が、上桜城の戦いにて三好長治に誅殺されます。
そして、三好長治も天正5年(1577年)3月に、長宗我部元親の支援を受けた阿波守護・細川真之や伊沢頼俊小笠原成助に敗れて自害しました。

その後、三好長治の実弟・十河存保勝端城に入って阿波・讃岐の諸将を束ねて、長曽我部氏に対抗します。
しかし、天正10年(1582年)、中富川の戦いにて大敗北し、三好勢は阿波を失いました。

天正11年(1583年)、安富盛定は織田信長の家臣・仙石秀久を小豆島に迎え、十河存保を救援しようとしますが、長宗我部勢の香川信景・香西佳清の軍勢は、引田城で籠城する十河存保を攻めて引田の戦いにて三好勢は敗北します。

この時、雨滝城、虎丸城も長宗我部勢の攻撃を受けて陥落し、十河存保は大阪へ逃亡しました。

このあと、安富盛定の動向はよくわかりませんが、仙石秀久の家臣に加わって、戸次川の戦いにて、討死したとも伝わります。

雨滝城はハイキングコースも整備されていると言いますが、今回は予定外でもあり時間の関係で遠景のみとなりました。

篠原長房~文武に優れ三好家を支えた高名な武将
虎丸城~三好勢が逃げ込んだ四国最後の砦
十河城と十河城の戦い~十河城を訪ねて





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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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