福島県

岩瀬山城のちょこっと解説~須賀川を見下ろす平山城

岩瀬山城




岩瀬山城とは

陸奥・岩瀬山城 (いわせやま-じょう) は、福島県須賀川市愛宕山にある、標高278m、比高30mほどの平山城です。
愛宕山に築かれていることから、別名は、愛宕山城、びわくび館、守谷館、須賀川古館とも言います。





恐らくは、西の須賀川市内に広がっていた、須賀川城や、麓の保土原館の詰め城として、少しずつ、整備されてきたものと推測できます。
下記写真が、保土原館跡です。

保土原館

戦国時代になると、周辺との争いが激しくなり、改修も行われるようになったことでしょう。
最初の築城としては、鎌倉時代後期の二階堂行朝ともされます。
須賀川城よりも、岩瀬山城のほうが古いとする説もありますが、恐らくは、麓の守谷館、保土原館の部分が中心で、南北朝時代の頃から、岩瀬山城が、整備されてきたものと考えられます。

岩瀬山城

と申し上げるよりは、須賀川城も、岩瀬山城も、ほとんど、繋がっている(同じ城域)、多郭式城館と言っても過言ではないと存じますので、両方を、わざわざ、わけて表現することが、間違いなのかも知れません。

岩瀬山城

岩瀬山城がある、翠ヶ丘公園の池のそば、南の高台は、南館と呼ばれてもおり、付近の高台は五老山館とも言います。
とにかく、郡山館、須賀川城、三春城陸奥・本宮城二本松城などの付近には、こまごまとした、小さな館が、たくさん分布しています。

岩瀬山城

下記写真は、西側の水堀の役目も果たしている須賀川です。
岩瀬山城の北を流れる、釈迦堂川も、昔は、もっと、水量があったと推測できますので、恐らくは、水運も盛んだったのでしょう。

須賀川

全部周るとなると、関東からでは、日にちが足りないため、今回も、選抜して訪問させて頂きました。





山頂の主郭周辺(本丸)には、土塁が残っていました。
戦国時代には、もっと、高さがあったと存じます。

岩瀬山城

その他の部分も、かつては、遺構があったようですが、都市公園整備にてだいぶ改変されてしまったようです。

岩瀬山城

ただし、春には、約200本の桜が咲くなど、桜の名所にもなっているうようです。

交通アクセス

JR須賀川駅から歩くと、北側の入口まで、1.2km、徒歩15分といったところです。
レンタサイクル(貸自転車)ではありませんが、須賀川駅前広場からは、シェアサイクルも利用できますので、とても便利です。
ただし、事前に、スマホ・アプリで登録などの作業が必要です。





駐車場は、北口、東口など、何箇所かありますが、岩瀬山城の本丸を目指した際には、東の芦田塚駐車場に止めさせて頂きました。
駐車場などは、当方のオリジナル東北地図にて、ポイントしております。
スマホで表示して、目的地としてタップし「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

岩瀬山城の見学所要時間は20分~40分といったところです。
公園整備されていますので、歩きやすい靴で、大丈夫ですが、雨上がりだと、滑りやすいと存じます。

もちろん、須賀川城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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