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陸奥・本宮城の歴史解説~本宮宗頼などの本拠地

陸奥・本宮城




陸奥・本宮城とは

陸奥・本宮城は、福島県本宮市本宮舘ノ越の付近にある平山城などで、この記事では、菅森館を中心にご紹介致します。
その菅森館と鹿子田館・愛宕館の3つの館の総称が、陸奥・本宮城と言う事になります。

陸奥・本宮城

菅森館は、安達太良神社がある花山公園。
愛宕館は、すぐ南にある愛宕神社の丘陵。
鹿子田館は、北東にある大黒山(郭内公園)

下記の写真は、本宮城から愛宕館があった丘を撮影たものです。

愛宕館

そんなに、離れた距離に散らばっている訳ではないので、まとめて、本宮城という風に、昔の文献でも表現されている次第です。





城跡にある安達太良神社(あだたらじんじゃ)の創建は平安時代の1146年と伝わり、安達荘は、鎌倉時代初期に、安達盛長の領地になった場所で、中心地だった可能性もあります。

安達太良神社

最初の築城は不明ですが、南北朝時代の応永・永享年間(1394年〜1440年)頃に、畠山満詮が築いたとされます。
畠山氏は、室町幕府・足利氏の庶流で、1345年に、畠山高国が奥州管領となって陸奥国に入り、多賀城や二本松を拠点としました。
畠山国詮の子・畠山満泰から、二本松満泰と称し、二本松城を築城しています。
その二本松満泰の長兄は、大将内城に入って川崎満国と称し、大井田氏を継いでいます。

陸奥・本宮城

その兄と、次兄・畠山満詮は、側室の子だったようで、本家は継がなかったようです。
そのため、畠山満詮は、本宮に入って鹿子田館の鹿子田氏を称し、更に弟は、新城氏泰と称している次第です。





こうして、鹿子田氏(かのこだ-し)が続きましたが、戦国時代になり、1532年頃、畠山一族で重臣の川崎宗頼が、本宮城(本宮館)に入って本宮氏を名乗りました。
しかし、1542年、伊達氏の乱では、二本松城の畠山義氏(二本松義氏)は伊達稙宗に味方し、本宮宗頼は伊達晴宗に属したため、一族で対立構造となり、1546年、本宮館の戦いで敗れた本宮宗頼は討死し、子の本宮直頼は、岩城重隆を頼って敗走しました。

陸奥・本宮城

陸奥・本宮城(本宮館)は、二本松氏の支配に置かれ、遊佐丹波・氏家新兵衛などが本宮城を任されています。
しかし、1570年頃には、会津・黒川城から蘆名盛氏が進出して、二本松氏は衰退しており、1585年、伊達政宗は二本松城を攻略しました。
そのため、陸奥・本宮城も伊達領となり、人取橋の戦いでは、伊達政宗は、本宮城を拠点として、佐竹・葦名の連合軍と戦っています。

陸奥・本宮城

その後も、会津攻略の拠点として改修されたようですが、その蘆名氏も、摺上原の戦いで、伊達政宗に大敗して勝負が決まり、価値を失った本宮城は、廃城になったようです。
陸奥・本宮城の見学所要時間は10分~20分ほどになります。

交通アクセス

JR東北本線の本宮駅から徒歩約20分となります。
駐車場は、花山公園の西側麓に、数台の駐車スペースがありました。
また、安達太良神社「参集殿」の前にも数台、止められます。
その参集殿から、更に道路があるのですが、上では止める場所や、転回場所はありません。





駐車スペースの場所などは、当方のオリジナル東北地図にて、ポイントしております。
スマホで表示して、目的地としてタップし「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

三春城からやっきて、このあとは、二本松城に向かいました。

二本松城 壮大さと魅力 素晴らしい石垣と縄張り【日本100名城】
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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