神奈川県

満江御前屋敷(曽我氏下屋敷)の解説~曽我兄弟の母が暮した地

満江御前屋敷

スポンサーリンク



満江御前屋敷とは

満江御前屋敷は、神奈川県小田原市曽我別所にある鎌倉時代の舘跡になります。
現在、一軒家のような、曽我別所公民館がありまして、その敷地が、満江御前の屋敷跡とされます。

曽我氏下屋敷

満江御前(まんごう-ごぜん)は、曽我兄弟の母と伝わる女性です。
曾我兄弟の父である、伊豆・川津館主の河津祐泰には、妻が2人いたものと考えられます。
ひとりは、再嫁した狩野親光の3娘と、横山時重の娘です。
そのうち、横山時重の娘が産んだのが、曽我兄弟だと考えられ、横山時重の娘が、曽我氏館曾我祐信に再嫁して、曽我荘に移住したものと推測できます。


スポンサーリンク



しかし、言わば、狩野親光の3娘も、曾我兄弟から見れば、実母ではありませんが、母となります。
そのため、史料がだいぶ混乱していまして、狩野親光の3娘も満江御前と記載され、横山時重の娘も満江御前と記載されているなど、満江御前が、どちらの女性なのかは、ハッキリしません。
恐らくは江戸時代に、歌舞伎や浄瑠璃で、曽我物語を演じる際に、曽我兄弟の母の名前がわからないので「満江御前」と創作したことから、このような状態になったものと考えられますが、恐らくは、この曽我の満江御前屋敷の女性は、横山党・横山時重の娘であると推測しています。

満江御前屋敷(曽我氏下屋敷)

満江御前の考察としては、下記にて詳しく触れていますので、ご興味がある方は、あわせてご覧頂けますと幸いです。

満江御前(万劫御前)の謎に迫る~伊豆・伊東氏にまつわる女性

さて、皇国地誌残稿によると、曽我別所の字・坊田に溜池と大屋敷があったとしています。
その大屋敷が、満江御前が居住していた曽我氏の下屋敷(現在の曽我別所公民館の場所)として、伝わっているようです。
近くに今もお住まいの、武藤家・安池家の祖先は、伊豆から満江御前に従って曽我荘に移った、家来であったとされます。
充分にあり得る話です。

武藤氏に関しては、時代も概ね一致する部分として、隣の大友郷の大友能直から見て、父の弟に武藤頼平(横浜の師岡郷)がいたり、その武藤頼平の猶子が、少弐氏の祖となった武藤資頼となりますので、その武藤氏の一族である可能性もあります。
そもそも、大友能直は、父が近藤能成であり、父が亡くなったあと?に、相模・大友氏館に入った訳ですが、源頼朝が挙兵したとき、伊豆の近藤国平(近藤七国平)と言う名が見られます。
そして、近藤能成の弟が、武藤頼平である次第です。
基本的に先祖は関東武士のキーパーソン、藤原秀郷なのですが、武蔵国を領地にしたので、武藤氏と言う事になります。
ちなみに、近江に入った藤原氏が近藤氏、遠江に入った藤原氏は遠藤氏と言う事です。

安池氏は、大変申し訳ありませんが、不明です。


スポンサーリンク



このように、満江御前屋敷は、当然、曽我兄弟の母が暮した屋敷と考えられる訳です。
実際問題、曽我氏の舘跡でさえ、発掘でも特定できておらず、詳細な位置は不明ですが、鎌倉時代初期・鎌倉御家人の妻である満江御前と言う女性が暮したとされる、館として伝承されているのは、かなり珍しく、大変貴重だと言えるのではないでしょうか?
しかも、出家して尼となり、寺院に入った女性と言う事でにもなっていませんしね。(もちろん、夫・曽我祐信が亡くなれば、その時点で生きていた場合、出家はしたと存じますが・・・。)
妻に与えられた屋敷だとした場合、しがない、私の記憶ですと、鎌倉初期の妻が、寺や神社などや、夫の屋敷で暮らす以外にでは、妻の屋敷跡としては、最古の伝承のような印象です。
平安時代も鎌倉時代も、妻は、別の屋敷に住まわせて、男性が通うのが通例ですので、もちろん、合致します。

そして、仇討ちを行う前らに、この曽我氏の下屋敷を曽我兄弟が訪ねて、母上と今生の別れをした「小袖乞い」が行われたとされています。

近くには、二宮尊徳遺髪塚もあります。

二宮尊徳遺髪塚

ちなみに、曽我梅林の主力品種は「十郎」です。

曽我は、道路は狭いので、大きな普通車は、厳しいところがあります。

交通アクセス

満江御前屋敷への行き方ですが、JR御殿場線・下曽我駅から徒歩15分です。

クルマの場合、公民館の脇に、4台ほどの駐車場がありますので、入口を当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
ただし、公民館ですので、地元の皆様の駐車を、優先して頂ければ幸いです。
その駐車場脇に、石碑などがありました。
なお、有名な曽我梅林がある地ですので、梅や桜の季節は道路が渋滞します。


スポンサーリンク



近くにある法蓮寺の墓地に、満江御前の墓がありますが、駐車場もあるので車で移動しても良いでしょう。(ただし、道路は、心細いくらい、狭いです)
また、少し離れますが、曽我氏館跡や、曽我兄弟の墓がある城前寺、梅林の上(標高が高いほう)には、曾我祐信の墓がありますが、同様に道路は狭いです。

相模・曽我城 (曽我氏館)の歴史解説~曽我兄弟が育った曽我荘・謎の曽我信正
城前寺の解説~曽我兄弟の墓・曽我祐信の墓・満江御前の墓(曽我荘)
満江御前の墓(曽我・法蓮寺)~曽我兄弟の母が眠る地
虎御前(虎女)の解説~曾我十郎(曾我祐成)の妾となり生涯菩提を弔う
山下長者屋敷の解説~山下長者屋敷の主は藤原実基?
河津祐泰のわかりやすい解説~怪力の持ち主でもあった伊東氏の嫡男
河津祐泰の血塚&椎の木三本【河津祐泰暗殺の地】伊豆・赤沢
曾我祐信(曽我祐信)の解説~曽我兄弟の養父・小田原にある曾我祐信の墓
満江御前(万劫御前)の謎に迫る~伊豆・伊東氏にまつわる女性
相模・二宮氏館(二宮太郎朝忠館・二宮朝忠館)~花月尼(二宮御前)開基の知足寺
史跡めぐりにも便利なオリジナル関東地図


スポンサーリンク



コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

城迷人たかだ

投稿者の記事一覧

高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

都道府県別


スポンサーリンク

只今人気のお城

城めぐり 2400城超えました

城めぐり
PAGE TOP