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駿河・石脇城の解説~北条早雲が駿河で出世して行く居城

駿河・石脇城




駿河・石脇城とは

駿河・石脇城(いしわきじょう)は、静岡県焼津市石脇にある、標高30m、比高25mほどの平山城です。
最初の築城は不明ですが、伊勢宗瑞(北条早雲)が、石脇を与えられて知行したため、住まいとして使用していた可能性があります。
下記写真のところが、登城口となります。

駿河・石脇城

経緯としては、応仁の乱が起こり、駿河守護・今川義忠が京都警護のため、度々上洛すると、1467年頃、伊勢盛定の娘とされる北川殿(きたがわどの) を正室に迎えます。
その北川殿が嫁いだ、今川義忠は、1476年、遠江へ侵攻し、横地城の横地四郎兵衛と、勝間田城の勝間田修理亮を討取りますが、その帰りに残党に襲撃されて、命を落としました。
そのため、今川家では、家督争いとなり、北川殿が産んでいた、龍王丸が家督を継げるように、実家に仲介を頼みました。
そして、伊勢貞親・伊勢盛定の命によって、室町幕府が、駿河守護・今川氏の家督相続へ介入するため、駿河に下向したのが、兄とも弟ともされる、若き伊勢宗瑞(北条早雲)と言う事になります。
伊勢新九郎宗瑞(伊勢新九郎盛時)は、龍王丸が成人するまで、敵対する小鹿範満(おしか-のりみつ)の家督代行を認めことで決着させる手腕を発揮しました。
小鹿範満は、駿河館(今川館)に入り、北川殿と龍王丸は駿河・丸子城に、一時退避したともある。





ところが、龍王丸が元服できる15歳を過ぎても、小鹿範満は、家督を返上することが無かったため、その頃、将軍・足利義尚の申次衆となっていた、伊勢新九郎宗瑞(伊勢新九郎盛時)は、1487年に、再び、駿府に下向しました。
そして、龍王丸を庇護していた、駿河・小川城主である長谷川正宣の勢力下にあった、駿河・石脇城に入ると、今川家での味方を集めたと言う事になるようです。
1487年11月、伊勢宗瑞(伊勢盛時)は、駿河館を襲撃すると、小鹿範満と弟・小鹿孫五郎を討取りました。
こうして、龍王丸は駿河館に入り、のち元服すると、今川氏親として、駿河・遠江を平定して行きます。

伊勢宗瑞(伊勢盛時)は、その今川氏親を引き続き後見したようで、やがて、興国寺城を与えられますが、それまでの間には、善得寺城、またはそのまま石脇城を居城にしたと考えられています。
目立った遺構は無いようですが、山に「城山八幡宮」や「大日堂」があります。

駿河・石脇城

伊勢盛時(北条早雲)が、興国寺城を与えられると、そもそも、この付近、駿河・花沢城、方ノ上城、当目砦など、小さな城がいくつかあることもあり、石脇城は、使われなくなった模様です。
ただし、石脇城は「出世城」ともされている、縁起が良いところです。





なお、伯耆・石脇城などもありますので、混同しないよう、注意が必要です。
花沢城とセットでどうぞ。

交通アクセス

JR東海道本線の焼津駅南口より、焼津循環線の路線バスに乗車して、日本坂PAバス停下車し、徒歩5分となります。
焼津駅の観光案内所にて、電動自転車を借りても、良いかと存じます。
駐車場が見当たらず、道路に止めるのは自粛したため、登城は致しませんでした。
北条早雲が大河ドラマになると、注目を浴びます。
比較的土地は空いているようですので、有料Pでも、構いませんので、駐車場があると助かります。
当方のオリジナル地図では、登城口をポイントしておきます。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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