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新高山城とは
新高山城(にいたかやまじょう)は、広島県三原市本郷町にある山城で、標高は197.6 m、比高186mと堅固です。
東は、花崗岩が露出した崖になっており、本丸、中の丸、西の丸、北の丸、釣井の段、鐘の段などの櫓跡があるようです。
国の史跡に指定されているほか、続日本100名城にも選ばれています。
沼田・小早川氏と言う、小早川家の本家の領地で、対岸にある安芸・高山城が本拠地でした。
戦国時代の1544年、毛利元就の3男・小早川隆景が竹原・小早川家の養子となって、安芸・木村城に入ります。
その後、毛利氏は、沼田小早川家の当主・小早川繁平を隠居に追い込み、両小早川家を小早川隆景の支配とします。
そして、1550年、小早川隆景は、安芸・高山城を本拠にしましたが、新しく築城したが「新高山城」であり、1552年に移り、古い安芸・高山城は放置された模様です。
もともと、砦の機能はあったようですが、修築し、山全体を、要塞化しました。
毛利元就・毛利隆元なども出陣した際などに、何度か、新高山城に寄った模様です。
当時、新高山城の麓まで、瀬戸内海が、深く入っていたようですが、毛利水軍の運用上、1567年頃より三原砦の整備を開始します。
その後、1580年から三原城の改修を進めたため、新高山城の石垣なども転用された模様です。
1587年、九州攻めの功績もあり、小早川隆景に対し豊臣秀吉は、筑前国など37万1300石を与えたため、名島城に居城を移しました。
その後、小早川隆景は、朝鮮攻めにも参じましたが、前田利家らと五大老に任じられ、家督を養子の小早川秀秋に譲り、安芸に戻ると三原城にて隠居しています。
そのため、新高山城と安芸・高山城は、使われなくなりました。
三原城からも近い、宗光寺の山門は、新高山城の大手門を移築したものと伝わりますが、否定する説もあるようです。
1596年、三原城へ移るまで小早川氏の本拠とした。三原城の築城の際、石垣などを持ち去ったといわれている。『毛利元就父子雄高山行向滞留日記写』 小早川家文書によれば永禄四年(1561年)3月には、毛利元就と隆元がこの新高山城を訪城、数日間滞在、連日饗応が行われた。
新高山城への交通アクセス
新高山城への交通アクセス・行き方ですが、JR本郷駅から登城口まで歩くと、1.6km、徒歩20分です。
三原駅からレンタサイクルと言う手もありますが、距離は約21kmと、結構あります。
昔は無かったと思うのですが、麓に登山者用駐車場が設置されており、簡易トイレもありますので、当方のオリジナル地図にてポイントしておきます。
ただ、何回訪問しても同じなのですが、付近に採石場でもあるのか「ダンプカー」とのすれ違いが、いつも大変です。
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登城する場合には、急な箇所もあるようですので、軽登山の装備と、トレッキング・ポールがあると良いみたいです。
登城口でも「杖」を借りられます。
登城口から本丸までは30分くらいで、見学所要時間は1時間~2時間といったところです。
夏場は、熱中症対策などをしっかりと。
続日本100名城のスタンプが設置されている場所は、本郷駅から5分の本郷生涯学習センターになります。
スタンプは、ロビーの管理事務所の前(パンフレット置き場)に設置されています。
お車でしたら、小早川家の墓所もある、米山寺もセットでどうぞ。
ちなみに、小早川氏の始祖は、相模国早川荘の小早川村に館(小田原城の旧跡)を構えた、鎌倉武士・土肥遠平となり、最初は三太刀城を拠点としたようです。
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あと、もうひとつ、すみません。
真珠湾攻撃の際の暗号文は「ニイタカヤマノボレ」(新高山登れ)でしたが、この新高山は、台湾にある玉山(ぎょくざん)の事だったようでして、残念です。
・安芸・高山城の解説 小早川茂平 小早川繁平
・安芸・木村城の解説 竹原小早川氏の本拠地
・小早川隆景【詳細版】~毛利家大きく支えた智将
・賀儀城と勝運寺にある浦宗勝の墓~相模・土肥一族が出自の小早川家
・米山寺と小早川隆景の墓などがある小早川家墓所
・安芸・高木山城(安芸・沼田城)の解説
・山陽の観光や城跡巡りにも便利な地図
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