広島県

安芸・高木山城(安芸・沼田城)の解説

安芸・高木山城(安芸・沼田城)




安芸・高木山城(たかぎやま-じょう)は、広島県三原市下北方にある丘城で、標高は30m、比高15mほどになります。
別名は、安芸・沼田城です。
築城は古いようで、平安時代に沼田氏(ぬた-し)が築いたと考えられます。
当時は、瀬戸内海が、この付近まで、入り組んでいたものと推測され、水軍の基地としても機能したようです。





平安時代末期の1184年~1185年頃には、伊予水軍の河野通信が源氏に寝返ったとあり、平家は平通盛・平教経の兄弟に討伐を命じました。
この時、河野通信は、母方の伯父である沼田次郎を頼って安芸国に渡り、安芸・沼田城にて、平教経と戦ったとされます。
平教経らは、屋島から沼田城へ押し寄せ、沼田次郎は降参し、河野通信は伊予へ逃れました。

その後、沼田五郎なる武将は、平家に従っており、壇ノ浦の戦いで、没落した模様です。
鎌倉時代となると、土肥遠平(小早川遠平)が沼田荘に入っています。

安芸・高木山城

鎌倉時代末期の1331年、楠木正成に呼応して吉備津神社にて挙兵した桜山慈俊(さくらやま これとし)が、小早川氏の本拠である安芸・沼田を攻略しました。
そして、新庄山城主で家臣の内藤実豊を、安芸・高木山城に入れて守られせましたが、翌年、笠置山の後醍醐天皇が、鎌倉幕府軍に捕縛されます。
そのため、小早川氏(小早川朝平?)は反撃に出て、安芸・高木山城は落城し、内藤実豊は討死しました。

以後、廃城になったのか、有力家臣は住まなかったのか、史料には出てこないようです。

安芸・高木山城への交通アクセス・行き方ですが、当方のオリジナル地図にてポイントしております。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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