広島県

安芸・木村城の解説「竹原小早川氏の本拠地」

安芸・木村城




安芸・木村城(きむらじょう)は、現在の広島県竹原市新庄町城ノ本(竹原荘)にある山城で、別名は、安芸・新庄城、安芸・篠原城、木村山城とも言います。
標高は140m、比高は120mほどです。
最初の築城としては、鎌倉時代の1258年、小早川政景が竹原荘に入って、安芸・木村城を築城したとされます。
ただし、普段は、麓に屋敷を構えていたものと推測されます。
小早川政景(こばやかわ まさかげ)は、小早川茂平の3男で、以後、竹原小早川氏として続きました。

安芸・木村城

足利尊氏が九州から京へ進撃した際、竹原小早川家の小早川景宗・小早川祐景が早くから参じたことから、本家である沼田・小早川家を上回る勢力へと成長して行ったようです。
小早川弘景の頃からは、瀬戸内海の交通要衝をおさえる国人領主として大きな勢力になりました。
竹原小早川氏の第13代当主・小早川興景の正室は、毛利興元の娘(毛利元就の姪)で、1541年、尼子詮久(尼子晴久)が安芸・吉田郡山城を攻撃した際には、毛利元就の救援に赴いています。
その後、大内義隆の命もあり、安芸武田氏の佐東銀山城を毛利元就と攻撃しましたが、陣中にて病死しました。享年23。





この時、嫡子がいなかったため、家臣らは、毛利元就の3男・徳寿丸を養子に迎える判断を行いました。
1543年、徳寿丸は12歳で元服すると「小早川隆景」と称し、竹原小早川家の当主になりました。

安芸・木村城

そして、小早川氏の本家・沼田小早川家の当主である小早川繁平が、病弱で盲目などの理由から、大内義隆と毛利元就が画策して追放します。
1551年、小早川隆景が、小早川繁平の妹(問田大方)と結婚し、沼田小早川氏の家督を継いで、竹原・沼田の小早川両家は、統一されました。

この時、小早川隆景は、安芸・高山城に移りましたが、それ以前の平時は、加茂川の対岸にある手島屋敷に住んでいたものと推測されます。
手島屋敷は、小早川隆景が本家・沼田小早川家の養子になって、安芸・高山城へ移ったあと、重臣・手島氏に与えられたようです。
竹原小早川家の墓地も隣接しています。
その手島屋敷の裏山は「安芸・本城山城」になっていますが、委細不明です。

安芸・本城山城

ただし「本城山城」との名称から、こっちを本城にした可能性もあるでしょう。

安芸・木村城も、その後も維持されたと考えるのが妥当で、石垣や竪堀、畝状竪堀、堀切などの遺構が残されているようです。





安芸・木村城への交通アクセス・行き方ですが、国道432号線沿いにある和賀神社の裏山が安芸・木村城です。
JR呉線・竹原駅から西条行きバスに乗車して、小早川神社前バス停にて下車し、徒歩約20分で登城口です。
予定がの訪問で、時間も無かったため、遠景撮影に留めました。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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