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泉頭城の解説~柿田川湧水群を湛える三島の城跡を徳川家康の隠居所に?

泉頭城

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泉頭城

泉頭城 (いずみがしらじょう)は、静岡県駿東郡清水町伏見にある平城で、標高は約9mになります。
最初の築城は、戦国時代の弘治年間(1555年〜1558年)頃に、小田原城北条氏康が築いたとされます。

泉頭城

基本的には、武田信玄の駿河進出に備え、伊豆・戸倉城三枚橋城長久保城と防衛網を築いたようで、武蔵・青木城の多目周防守(多米元忠?、多目長宗)、または、荒川清兵衛が泉頭城に置かれました。
すぐ北には東海道が通り、西側は日本名水100選・国指定天然記念物で有名な柿田川湧水群があり、籠城時の水の確保と、天然の堀の役目を果たしています。
ここまで、新鮮な飲料水に困らない城跡は、他にはないでしょう。

泉頭城

有料駐車場になっている箇所が、とても広く、本丸(本曲輪)が置かれていたようです。
貴船神社のあたりは、郭になっているが、わかりますが、全体的には、現在、湧水の柿田川公園として整備されていますので、城跡と言うのは二の次になります。


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武田信玄の死後、武田勝頼は三枚橋城(沼津城)を攻略し、伊豆・戸倉城の笠原政堯が寝返ります。
このとき、泉頭城の兵が、戸倉城を攻めたようで、合戦になったとあります。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、北条氏は泉頭城を焼き払い、駿河・山中城や、韮山城に集約して、抵抗しました。

泉頭城

1593年、伊豆代官・江川英長の養女となり、三島にて徳川家康と面会して側室になった、お万の方(養珠院)は、一説によると、泉頭城跡(柿田川湧水群)の畔で、出会ったする説があります。
<注釈> お万の方は、正木頼忠の娘、北条氏尭の娘、田中泰行の娘(板部岡江雪斎の姉の娘・姪)ともされる。母の再婚先が蔭山氏広なので、蔭山氏広の娘とも。

泉頭城

1615年5月、大坂の陣にて豊臣秀頼を滅ぼした徳川家康が駿府城へ戻ります。
すると、12月頃、泉頭城跡が景勝地であるため、隠居所にしようと、本多正純土井利勝に縄張り(工事)を命じました。
確かに主要交通路にあるため、移動も物資輸送もできますし、富士山も目の前で、何より水が豊富ですので、健康オタクな徳川家康が、気にいるのも、よく分かります。
しかし、徳川家康が病に倒れる直前(約1ヶ月後?)に、中止されたままとなったようです。

泉頭城

徳川家康も喉を潤したであろえ、富士山の湧水も汲めますので、ぜひ、空のペットボトル持参でどうぞ。
水あそび場もありますので、お様連れで、タオルを持参するのも良いですが、蚊が多いので、虫除けも必須と言えます。

交通アクセス

泉頭城への行き方ですが、柿田川公園の有料駐車場が利用できます。
駐車場がある場所は、下記の地図ポイント地点です。
国道1号から「左折」で入ると、進みやすいです。
地図は縮尺を変えて、ご確認願います。

国道から曲がる際には、ここで、曲がるとは、あまり思われないため、早めに、ウインカーを出すことをお勧め致します。
右折でも入れるのですが、中央分離帯の途切れに、右折ラインがある訳ではなく、交通量も多いので、危ないです。
そのため、「左折」(西行き)で入ることをお勧め致します。
地図だと、東側の脇道からも、行けそうに見えますが、道路にポールがあり、進入できないため、国道1号以外からは、進めません。

駐車可能台数は普通車50台で、執筆時点での駐車料金は1回200円です。


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電車バスの場合は、JR三島駅の南口から沼津箱根登山東海バスの沼商・藤井原(サントムーン経由)行きに乗車して、柿田川湧水公園前バス停下車となります。
昼食などは、ショッピングモール「サントムーン」だと、色々とお店も多いです。

時間があれば、伊豆・戸倉城とセットでどうぞ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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