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鎌倉城とは「大蔵幕府」(大倉御所)鎌倉幕府が築かれた鎌倉の城域

鎌倉城




鎌倉城とは

鎌倉城(かまくら-じょう)は、神奈川県鎌倉市にある城跡の名称です。
ただし、鎌倉城と聞いて、少し「お城」に詳しい方であれば「そんな城はないだろう」とお思いになられるかと存じます。
小生も、ちょっと前まで、そのクチでしたが、実は、鎌倉時代初期の関白・九条兼実の日記では「鎌倉城」と言う記述があるそうです。
「玉葉」と言う日記に、源頼朝木曽義仲追討のため「鎌倉城」を出発したと記されています。
要するに鎌倉幕府が置かれた場所である「大蔵幕府」(大倉幕府)を鎌倉城と明記したものとは存じますが「城」との記載がある以上は、鎌倉も「鎌倉城」として取り扱わなくてはならないのではと考える次第です。





城の定義として、きちんとしたものがある訳ではありませんが、城と申しますと、概ね「防御機能」を持った施設と言う事になるかと存じます。
となると、鎌倉の場合、建物などの構造で防御すると言うよりは、鎌倉の市街地を取り囲む「丘」と「海」で防衛すると言う考え方となっています。
ようするに、鎌倉城の場所としては、現在、古都・鎌倉として観光地になっている鎌倉全体が城域とも言えます。
鎌倉をグルッと囲んでいる「丘」が、天然の巨大な土塁のような感じです。
そのため、鎌倉に入るためには「切通し」と呼ばれる狭い道路から進むか、海から船で行くと言う事になります。
すなわち、一乗谷城や、八上城などと同じ「谷戸」に築いたと同じこと事なのですが、地形的に、鎌倉は大きな谷戸とも言え、数万の軍勢で守備できれば、勝利できる可能性は非常に高いと言えます。

なお、城の守りとして最も重要なのは、水源(井戸)があるかなども大切です。
しかし、城の場合、防御に優れていると言う事ではなく、万が一の時に「脱出しやすいか?」、無事に逃れやすいかが、とても大切になります。
その点、鎌倉は、海から船で脱出することもできますので、より安全性が高いのです。

よって、日本初の武家政権となった源頼朝が、千葉常胤の進言も受けて、鎌倉に幕府を開いたのも、うなづけます。
その鎌倉の地は、源頼朝の父・源義朝が、関東にて源氏の棟梁として、活躍した拠点でもあり、かつて、源頼義が勝利を祈願したとされる「源氏山」がありました。

源氏山

そのため、当初、鎌倉に入った源頼朝は、父・源義朝が屋敷を構えていた、亀ヶ谷(扇ケ谷、現在の寿福寺)に、御所をもうけようと考えました。
よって、源頼朝の屋敷があった場所が、平安時代末期には、鎌倉城(鎌倉之楯・亀谷城)で、裏山の源氏山が詰の城とする場合もあることを、念のため、明記しておきます。

源義朝の屋敷跡

なお、源頼朝の屋敷があった敷地スペースは、手狭だったようで、鶴岡八幡宮の東側の大蔵に、御所を造営したと言う事になります。
その源頼朝が住んだ場所は、鎌倉幕府の中でも「大蔵幕府」(大倉御所、大蔵御所、大蔵城)と呼ばれますが、将軍が住んだところですので、御所を城と呼んでも、おかしくはありません。

大蔵幕府

そのため、鎌倉時代においては、鎌倉城 = 大蔵幕府と言う事で問題ないと存じます。
その前の平安時代では、寿福寺のところが、鎌倉城と言えるでしょう。

有史において、鎌倉(鎌倉城・大蔵幕府)が攻撃を受けたのは、主に3回です。
最初は、鎌倉幕府滅亡の1333年で、新田義貞らの軍勢が鎌倉を攻めました。
このとき、新田義貞らは、防御に優れている切通を破れず、稲村ヶ崎の海岸から迂回して、海から鎌倉に進入することに成功し、執権・北条高時が自刃しています。
北条氏ら幕府軍は、当然、逃げる時間がありましたが、鎌倉に迫ってくる新田勢を迎え撃つべく、何回も討って出て失敗しても、鎌倉に居座り続けたため、残存兵力も少なくなり、負けるべくして負けたと言えます。





次は1337年に、後醍醐天皇の命を受けた北畠顕家が、足利尊氏の勢力が確保していた鎌倉を攻撃しています。
このとき、北畠勢は、朝比奈切通から侵入したため、足利勢は鎌倉の内部にある相模・杉本城にて籠城し、杉本城の戦いとなりました。
この際には、3日間持ちこたえましたが、関東管領斯波家長が討死するも、足利義詮・上杉憲顕・桃井直常・高重茂らは舟で房総へ逃れることに成功しています。
相模・杉本城は、鎌倉最古の寺である杉本寺の背後の山になります。

更には、初代の鎌倉公方足利基氏が1339年、鎌倉に赴任すると、1532年、新田義興が脇屋義治らと挙兵して鎌倉を一時落としています。
このように、鎌倉は大軍で守るのには適していましたが、大軍がいなければ、他の通常の城同様に、守備で有利とは言えなかった模様です。

戦国時代に入ると、鎌倉で防御と言う考えはほとんどなく、近くの大船に玉縄城を整備するなど、鎌倉周辺に城郭が造られました。





鎌倉幕府・大蔵幕府があった鎌倉城跡への交通アクセス・行き方ですが、JR横須賀線と江ノ島電鉄の「鎌倉駅」にて下車し、鶴岡八幡宮までは徒歩15分となります。
大蔵幕府の石碑がある場所は、当方のオリジナル地図にてポイントしていますので、ご確認願います。
駐車場は付近のコインパーキング利用が良いですが、今でも進入が大変な鎌倉は、道路が渋滞します。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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