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源頼朝とは~何をした人?したこと?どんな性格?最大の功績など解説 (鎌倉殿の13人)

源頼朝

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源頼朝とは

源頼朝(みなもと-の-よりとも)は、平安時代末期に生まれた武将です。
どんなことをしたのか?、何をしたのか?、どんな武将だったのか?を中心に、最大の功績など、できる限り、分かりやすく、簡潔に開設してみたいと存じます。

源頼朝が行ったことで、一番有名なのは「鎌倉幕府」を創設したことです。
平安時代末期には、軍事貴族になった平清盛が朝廷内の官位を独占し、政権を掌握していました。
そんな折り、源頼朝は、約20年間、伊豆にて流罪生活を送っていましたが、34歳の時、1180年に挙兵し、平清盛の亡きあと、1185年に、壇ノ浦の戦いにて平氏を滅ぼします。
そして、鎌倉幕府を樹立している訳ですが、武家の「棟梁」(諸国武士団の統率者)としての地位を確立したのが、源頼朝という事になります。
新しくできた鎌倉幕府には、下記のような大きな意味があります。


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日本の政治を行う権利が、朝廷から、初めて武家に政権が移った
以後、明治維新まで続く、武家政権の礎になったと言う事
御恩と奉公の御家人制度 (封建制度)

御恩とは、鎌倉殿(征夷大将軍)が、御家人(各地の領主)らに与えるもので、先祖代々の領地を安堵したり、新たな領地を与えたり、朝廷の官職を得られるよう推薦したりすることです。
奉公とは、御家人が鎌倉殿に対して協力することで、合戦で鎌倉殿のために戦ったり、京都大番役や鎌倉の重要機関で、一定期間働いたり、朝廷や幕府の建物などの建築や修理などすることになります。

基本的には、合戦で、手柄を立てて、新たな領地を得るのが、鎌倉御家人の目指すところとなりました。
領地が増えれば、税収(コメ)が増えるので、豊かな暮らしができるようになります。
そして、鎌倉幕府側は、活躍する御家人に、恩賞として新たな領地を与えることで、お互いの利害関係が成立していた訳です。


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ただし、戦国時代・江戸時代と異なり、領主と言っても、土地は細かく、基本的に広くはないので、一般的な御家人は、貧しい暮らしだったと言えます。
そのため、鎌倉時代には、倹約的な生活が根付き、質実剛健で、とても質素な、鎌倉文化へと、影響しました。

1192年、源頼朝は朝廷から「征夷大将軍」に任命され、1221年、後鳥羽上皇が、朝廷の復権を図り挙兵すると、鎌倉幕府は京都を制圧して、後鳥羽上皇を隠岐島に配流します。
空には、京都に「六波羅探題」を設置して、朝廷を、幕府の監視下に置き、鎌倉幕府は、日本全国に影響力を持った政権になった訳です。

また、鎌倉幕府では、公文所(政所)、問注所、侍所といった、実務機関を設置するなどの手腕も、評価されるところです。
そのため、武力に強い武士だけでなく、文官として重用した御家人も多数見受けられます。


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源頼朝の性格は、吾妻鏡から読み解くことができます。
源頼朝は、源氏の棟梁として、武士を束ねましたが、直属の兵力は、無いと言っても、過言ではありません。
大局を見極め、方針を決定すると、当たってはいますので、戦略家としては優れていると存じますが、その合戦では、味方となって協力してくれる御家人の戦力が頼りでした。
そのためか、有力な御家人などには、かなり「気を使っている」節が、よくあります。
よく御家人の家を訪問しては苦労をねぎらったり、幕府の行事には、名誉な事として、御家人を招いたり、京に上洛するにしても、同行する者を選抜したりと、出来る限り、御家人らが不満を持たないように、平等に選んだ意図があることが、わかります。
もちろん、鎌倉幕府の意思決定においても、御家人らの意見も、広く取り入れており、他人の言葉に、耳を傾けることができる大将でした。
独断で採決すると言うよりは、人の意見をしっかり聞き、まわりの人も立て、まとめるのが、うまかったと言えるかと存じます。

朝廷に推薦状を出して、御家人に官位を与えるにしても、例えば「左衛門尉」に任命されている武士が、何名もいます。
左衛門尉(さえもんのじょう) は、例えばですが、安達景盛足立遠元小山朝政工藤祐経、島津忠景、長井時広、土屋宗遠など、何人も任官していますが、いわば、官職としては有名無実化しており、これも名誉職のような節がありますが、このように気配りができたのが、源頼朝でした。

その反面、平氏打倒に大きく貢献した弟・源義経や、源義仲を死に追いやるなど「鎌倉殿」と言う地位の固めるため、身内には非情な仕打ちも行っています。
寝所でも、毎晩、若い御家人に、寝ずの警護をさせていますので、日々、命の危険に脅かされていたようです。
そのため、ひと時も、落ち着かない生活でもあったことでしょう。


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いずれにせよ、貴族中心の政治になっていた日本を、源頼朝が「武士の 武士による 武士のための政治」を行うようになり、初めて日本に「幕府」を開いたと言うのは、最大の功績と言えます。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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