足利城(あしがら-じょう)は、栃木県足利市の両崖山(標高250m)に築かれた山城で、比高は210mと堅固です。
別名は、飯塚山城、小屋城、足利宿城、栗崎城とも言いますが、両崖山城と言う名称がよく使われます。
最初の築城としては、藤姓足利氏の祖で、平安時代の鎮守府将軍を歴任した藤原秀郷の流れを汲み、伊勢崎の渕名から足利に土着した足利成行(足利太夫)が、天喜年間(1053年~1058年)に、両崖山城を築いたとされます。
当然、館は麓にあったものと推測しますので、足利氏館を現在の鑁阿寺の場所あたりに構えて居館とし、足利城(両崖山城)は詰の城と言う事でしょうが、谷戸のような場所もあり、城としては所属が独立していた時期があるかも知れません。
その後、藤姓足利氏は滅亡し、かわりに源姓足利氏が支配するようになって、足利尊氏などを輩出しました。
1466年、関東管領・山内上杉家の重臣である長尾景人が、足利荘の代官となって勧農城に入っています。
その間も含めて、1455年、1564年、1584年、1590年と、4回ほど、足利城の戦いも発生しています。
戦国時代に入ると、長尾景長によって足利城は本格的に改修整備されたようで、拠点も勧農城から足利城に移されました。
1590年、豊臣秀吉による小田原攻めの際に、長尾顕長は小田原城に入って籠城したため、足利城は、家臣の反町大膳亮、辻新三郎、宇津木下総守らが守備したようです。
展望も良いことからハイキングコースとして整備されており、織姫公園から登山道が作られており、紅葉シーズンはとても賑わうようです。
ただし、険しい登山道になっており、岩山ですので、登山靴(トレッキングシューズ)などの装備を推奨いたします。
足利城(両崖山城)への交通アクセス・行き方ですが、織姫公園「もみじ駐車場」利用となります。
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