東京都

河崎庄司郎館(妹尾氏館) 東京の渋谷駅近くにある屋敷跡

河崎庄司郎館(妹尾氏館)

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河崎庄司郎館(かわさきしょうじろうやかた)は、東京都渋谷区渋谷3-10にある平城です。
渋谷川へと降りる傾斜地上にあったようです。
別名は妹尾氏館となります。
2010年、マンション建設の際に遺構が出て行われた発掘調査では、江戸時代の土坑、掘立柱建物跡、柵列、ピットなどが発見されたようです。


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最初の築城としては、平安時代末期の応保年間(1161年~1163年)とされ、河崎重国(河崎庄司郎重国)が築きました。
河崎重国(かわさき-しげくに)は相模国高座郡渋谷荘が本貫の渋谷氏です。
秩父重綱の弟・秩父基家が多摩川河口の荏原郡河崎(川崎)を領した際に、河崎氏を称しました。
その後、河崎重家、河崎重国と続きます。
1300年頃に記載された鎌倉幕府の史書「吾妻鏡」によれば、1159年の平治の乱で敗北した源氏の重臣・佐々木秀義(ささきひでよし)が奥州へと落ち延びる際、渋谷重国は、佐々木秀義とその子らを渋谷荘に引き留めて援助・保護したという記載があります。
渋谷重国は、河崎重国と同一人物であり、1161年頃に、河崎から現在の綾瀬市西部を流れる目久尻川河畔に開けた相模・渋谷荘(高座郡渋谷村)の荘司になったと考えられ、この渋谷重国が最初に渋谷氏を名乗ったものと推測できます。
その際に、恐らくは、東京の渋谷にも屋敷を構えたのでしょう。

ただし、河崎基家が築いた渋谷城(金王砦)のほうが早くからあったようですので、河崎庄司郎重国館は、家督を継ぐ前の河崎重国の屋敷だったものと考えます。
河崎基家の孫になるのが河崎庄司郎重国と言う事になります。

1189年、藤原泰衡討伐のおり、源頼朝は渋谷高重の館(河崎庄司郎館)に立ち寄り、渋谷城にもなっている八幡宮に太刀を奉納しました。
このとき、金王丸御影堂に親しく参拝し、父・源義朝に仕えた金王丸の誠忠を偲び、その名を後世に残すべしと厳命したと言います。
そのため、金王八幡宮の境内には、現在も金王丸御影堂があります。

別名にもなっている妹尾氏に関しては、なぜ、妹尾氏の館にもなったのか?、調べても不明でした。
渋谷氏の一族にもいません。
恐らくは、和田義盛の乱で渋谷氏が衰退し、河崎庄司郎館周辺の所領を受け継いだのが、妹尾氏と推測できますが、詳細不明です。


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河崎庄司郎館跡への交通アクセス・行き方ですが、JR・東急・営団地下鉄各線の渋谷駅から徒歩5分~10分(駅の出口により距離が異なる)となります。
駐車場はありませんが、近所にコインパーキングなどはあります。
当方のオリジナル関東地図にて、跡地をポイントしておきますが、遺構は失われており、かつて屋敷があったことを示す案内板などもありません。
渋谷城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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