大分県

豊後・高田城 見どころと大友家の家臣・高田鎮孝や高田正孝

豊後・高田城

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豊後・高田城とは

豊後・高田城(たかだじょう)は、大分県豊後高田市玉津字本丸にある平山城で、別名は高田城、柴崎城とも呼ばれます。
比高は20mになります。
最初の築城は鎌倉時代である1196年、高田重定(高田掃部介重定)が、桂川右岸の台地に築いたと考えられています。
この高田重定(高田掃部介重定)は、相模国・愛甲郡古庄近藤能成(古庄能成とも)の子として生まれた大友能直の家来だったようです。

源頼朝の命により、大友能直の大友家は豊後・筑後守護職と鎮西奉行職となり、1196年6月11日に豊後に入りました。
この時に、同行した家来のひとりが、豊後・高田城を築いた高田重定(高田掃部介重定)だったようですが、まぁ、かなり昔の事ですので、諸説あります。


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戦国時代の頃に大友家が続いていたように、高田家も続ています。

高田鑑将が討死するとあとを高田鎮孝が継ぎ、1561年まで、田原親堅と豊前に在陣し、大友義鎮から感状を賜っています。

立花鑑載、原田親種らが大友家に反旗を翻すと、大友義鎮は田北民部を大将として派遣しますが、この軍勢にも高田鎮孝が加わっています。

1578年、大友宗麟が日向侵攻すると高田鎮孝も参陣しましたが、耳川の戦いで高田鎮孝も討死しました。

その後、高田正孝が家督を継ぎ、大友義統田原親貫を攻撃した鞍掛城の戦いで戦功を挙げています。


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やがて島津勢が豊後に乱入した際には、木付鎮直、大神鎮勝、田染統基らとともに高田正孝も木付城(杵築城)の籠城に参加し、国東半島には島津勢を入れませんでした。

1590年、大友義統が小田原攻めに参陣した際や、1593年の朝鮮攻めにも高田正孝が従っています。

大友義統が改易されると高田正孝は高田邑浜にて蟄居して生活しましたが、1603年に死去したとされ、高田氏は没落しました。

1593年に大友館主・大友義統が豊臣秀吉の逆鱗に触れて領地没収・改易されたあとには、美濃・長松城主である竹中重利(竹中重隆)が、13000石にて高田城に入っています。
そして、高田城は大きく改修されて行きます。

豊後高田城

周防灘と桂川に面した2方向が崖となった地形の上にあり、他の2方向は水堀で防御する形となってます。
下記は水堀の跡です。

豊後高田城の水堀

竹中重利(竹中重隆)は、1600年の関ヶ原の戦いにて当初は西軍・石田三成に味方すると、兵だけを派遣したようで・瀬田橋の警固をし、丹後・田辺城の戦いにも参加しています。
このように竹中重利(竹中重隆)は本国にいたようで、黒田官兵衛(黒田長政)の誘いに応じると東軍・徳川家康に寝返り、富来城、安岐城を攻めたたことで、戦後所領を安堵されました。

1601年、竹中重利は府内城(大分城)に20000石で転封します。

その後、豊後・高田城には1639年に豊前・龍王から松平重直が37000石にて入封し高田藩となりました。
しかし、家督を継いだ松平英親が1645年に杵築城32000石に転封となると、一時、幕府の直轄地となったようです。

のち、1669年に、丹波・福知山城の松平忠房が肥前・島原に65000石にて転封となった際に、高田27000石は飛領地となり、本丸跡に豊州陣屋が設けられました。

本丸は、現在の桂陽小学校・中央公民館がある場所となります。

公民館の東側から南に降りる階段は、豊州陣屋ができた際に整備された石段です。

豊後高田城

その石段の脇にある石垣が、唯一、かつて高田城があったことを伺わせるように、早い段階で陣屋となってしまったため、あまり目立った遺構は残されていません。

ただし、本丸の北西側と北東側にはかつての水堀と土塁も見受けられるようです。


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交通アクセス

クルマでの豊後・高田城へのアクセスですが、桂陽小学校の南東にある中央公民館に駐車できます。
下記の地図ポイント地点がその場所です。

ただし、南側からは階段ですので、車は北側から入るしかありません。
もちろんですが、地図は縮尺を見やすく変更してご確認願います。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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