若狭・小浜城(おばま-じょう)は福井県小浜市城内にある標高3.4mの平城(海城)です。
別名は雲浜城(うんぴん-じょう)と言います。
本丸跡の小浜神社には、酒井忠勝が祀られています。
かつては2つの川に挟まれた中州が城域で、本丸は四方が海水で囲まれていました。
そして、複合連結式層塔型3重3層の天守に、櫓は42、門櫓5、多聞10、狭間の数は1320と相当な規模の立派な城だったようです。
しかし、護岸工事などでだいぶ削られていて、今では、天守台を含む本丸部分の石垣だけが、かろうじて残っている状態です。
なお、安房・小浜城、陸奥・小浜城と同名の城がありますので、混同しないよう注意が必要です。
最初の築城は、1601年で、京極高次が築城しました。
京極高次は、関ヶ原の戦いの際に、大津城にて籠城し、西軍15000を釘付けにした功績を徳川家康に称されて、若狭一国を与えられ、後瀬山城に入りました。
しかし、山城では高くて狭いと不便な事もあり、北川と南川と小浜湾の三角州に新しく城を築いたと言う事になります。
地雲の浜に住んでいた漁師らを下竹原(西津郷)に立ち退かせて、築城開始したと言いますが、軟弱な地盤だったことから難工事だったようです。
京極家2代・京極忠高の代でも普請が行われていましたが、1634年、完成を見ずして京極家は出雲・松江城に加増転封になりました。
そして、徳川家譜代の酒井忠勝が川越城から移って12万3000石で小浜藩主になると、小浜城は拡大整備され、1635年に天守も完成したとあります。
全体の工事は、1641年に終わった模様です。
以後は、酒井氏が続いて明治時代を迎えましたが、若狭唯一の近世城郭と言う事になります。
小浜藩は、藩医として解体新書を作った杉田玄白でも有名です。
若狭・小浜城への交通アクセス・行き方ですが、JR小浜線の小浜駅から徒歩15分となります。
情報によると、駅の近くにはレンタサイクル(貸自転車)もあるそうです。
駐車場は、とても狭いのですが、小浜神社前に2台ほどあります。
道路も狭いです。
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天守復元計画もありましたが、日照権などの問題もあるのでしょうか?、あまり進んでいない模様です。
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