直峰城(のうみねじょう)は、新潟県上越市にある山城で、史料によっては能峰城・直峯城とも書きます。
典型的な中世山城で、標高は344m、比高230m、自然の地形が巧みに利用されている堅固な山城と言えます。
最初の築城時期は諸説あり不明ですが、南北朝時代(1335年~1392年)に、南朝に味方した風間信昭(かざま-のぶあき、風間信濃守信昭)が本拠地にして活躍していたと伝わります。
出自は信濃水内郡にある風間神社の庄司の出身とされ、東側の尾根に、風間信濃守屋敷があったとされます。
1333年、鎌倉幕府滅亡に功績があった新田義貞が越前を拠点とすると、風間信濃守信昭もその麾下に入った模様で、信濃の高梨経頼らと戦っています。
新田義貞が灯明寺畷にて討死したあと、風間長頼が直峰城主として見受けられ、蔵王堂城や、上杉憲顕の子・上杉憲将らが籠城した顕法寺城を攻撃しています。
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しかし、そのあと風間氏は滅亡したようで、国宝・重要文化財になっている大友文書によると、1362年の足利義詮の判物から、大友氏時に領地が与えられたとあります。
大友氏時と申しますと、大友氏の8代当主・大友氏時(おおとも-うじとき)が、年代も合致しますので、戦功があったのでしょう。
大友家は出自こそ、相模・大友荘(神奈川県小田原市)ですが、この頃の本拠地は九州・大分ですので、かなり遠い飛び地となった模様です。
そのため、実質的には、越後守護・上杉憲顕(上杉4代当主)の支配下に組み込まれたようです。
ただし、風間氏としては、1400年の大塔合戦にて、風間宮内少輔が箕輪城主・村上満信に従って行動しているのが見受けられます。
時は流れて戦国時代となると、1507年、永正の乱の際に、関東へ逃亡中していた7代・上杉房能が直峰城に寄りますが、長尾為景の追撃を受けて松之山に逃れたあと、天水越にて自刃しています。(永正の乱)
以後、直峰城は長尾為景の領地になり、 吉田周防守英忠が入ったと考えられます。
上杉謙信が春日山城主となると、三国峠から関東へ抜ける交通要衡(国道403号)となり、関東遠征の際、上杉軍は1泊目の宿泊地として、直峰城を利用したとも言います。
ただし、宿泊したのは、麓の寺(添景寺)などで、有事の際の指定避難場所が直峰城であったことでしょう。
直峰城には、吉田英忠、竹俣清綱、長尾伊賀守などが城将を勤めています。
養子の上杉景勝と上杉景虎(北条三郎)が争った「御館の乱」の際、直峰城は景虎勢の長尾景明が守備していましたが、景勝勢の策略によって自刃します。
上杉景勝は小日向隼人佐、山田彦右衛門、北村孫兵衛尉らに「直峰之地」での戦功を称しています。
そして、景勝勢の吉益伯耆守が直峰城を守ったようですが、上杉景勝が攻め落とし、徐々に上杉景虎(北条三郎)を追い詰めて勝利しました。
その後、直江兼続の実父・樋口兼豊(ひぐち-かねとよ)が、1584年より直峰城を任されています。
慶長3年(1598年)、上杉景勝が会津・鶴ケ城に移封となると、春日山城に入った堀秀治の重臣・堀光親(堀伊賀守光親)が直峰城主となりました。
しかし、慶長15年(1610年)に堀忠俊が改易(所領没収)とになり、直峰城も廃城となっています。
会津には樋口氏が名をつけたと言う「直峰町」があると言います。
直峰城は、中腹まで、林道にて車で登れて舗装された駐車場があります。
駐車場に清掃が行き届いているトイレがあり、トイレの中にパンフレットが置いてあると言いますが、立入禁止になっていました。
その無料駐車場から本丸までは歩いて15分(高低差97m)くらいで、本丸ですが、春日山城より本丸は広いそうで、晴れていれば能登半島も見えるとあります。
他にも、大規模な空堀・曲輪跡などが残ります。
ただし、降雪期(12月~4月下旬)は、その駐車場には進入できません。
今回は、村上城まで行く関係で時間がないのと夏季で暑いため、無理せず登城は断念しましたが、秋にでも訪れてみたいところです。
麓には約2kmの敷石道・軍道(旧三国街道)は、添景寺墓地から「城の腰」にかけてあるようです。
越後・松代城などを経て三国峠へ繋がっています。
毎年5月8日には、風間信昭の業績を称えて地元の「直峰保存会」さんが、風間祭を開催しているようです。
風間信昭の墓は、新潟県和島村の治暦寺にある模様です。
交通アクセスですが、北越急行・ほくほく線「虫川大杉駅」よりタクシーで20分です
バスの場合には、虫川大杉駅前から乗って、安塚北バス停で下車、本丸まで徒歩45分となります。
駐車場へのアプローチですが、道は舗装されています。
ただ、夏場の訪問時、狭くて、両側の草が覆いかぶさっているところがあり、私のスリムな車でも、草をかき分けて行くような感じになりました。
このあと、星峠の棚田に行きました。
・春日山城 戦国の息吹を感じ妄想も広がる山城
・越後・松代城 模擬天守もある三国街道抑えの山城
・御館の乱 上杉謙信死後の壮絶な跡継ぎ争い
・樋口兼豊(樋口惣右衛門兼豊)~直江兼続の父
・越後・上条城 上条上杉家や上条政繁の居城
・星峠の棚田【にほんの里100選】写真では伝わらない感動がある
・日本の城へのアクセス地図(オリジナル)
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