新潟県

越後・上条城 上条上杉家や上条政繁の居城

越後・上条城

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上条城と言う城も日本各地にあるため、ここではハッキリと越後・上条城として区別させて頂きます。

越後・上条城は、その名も、ジョー・ジョー・ジョーと読みますが、標高15mの微高地にある比高10mの平山城です。

最初の築城は、越後守護で越後上杉家2代目の上杉房方(うえすぎ-ふさかた)と考えられます。
越後中郡の北条・安田・斎藤氏など土豪衆の監督も兼ねて4男・上杉清方を分家し、居城にしたのが始まりとされます。
こうして、上杉清方(うえすぎ-きよかた)は、上条上杉家を興しました。


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関東管領と山内上杉家の家督は、足利学校や金沢文庫を再興した、実兄・上杉憲実(うえすぎ-のりざね)が継いでいましたが、永享の乱のあと、伊豆・国清寺に隠居します。
この時、山内上杉家の家督が、越後・上条城の上杉清方に譲られ、当主を兼ねました。
しかし、足利幕府は、上杉憲実が関東管領から退くことは認めませんでした。
そんな中、1440年に、結城氏朝が足利持氏の遺児・春王丸と安王丸を擁して挙兵した結城合戦になると、足利幕府は上杉憲実に復帰を命じたため、やむなく出陣しています。
その軍勢に、上杉清方は、上杉持朝・上杉持房・上杉教朝らと共に加わり、足利春王丸・足利安王丸らを捕縛すると京に護送しました。
そして、1442年5月に、上杉憲実は鎌倉に入ると、完全に引退していることから、上杉清方が関東管領と武蔵国守護も、兼務した可能性があります。
上杉清方の没年は1444年と伝わり、まだ33歳?と若くして上杉清方は死去した模様です。
一説には、幼い子を死に追いやった自責の念で、京からの帰り道で自刃したとも言われています。

上杉清方の子・上杉房定(うえすぎ-ふささだ)は、1449年2月に越後守護・上杉房朝が急死すると、長尾頼景らによって、越後守護として擁立されます。
越後守護代・長尾邦景と長尾実景の父子を攻め、越後・府内を掌握しました。
家督は、末子の上杉房能(うえすぎ-ふさよし)が継いで越後上杉家7代当主となっています。

越後・上条城

越後上杉家の8代当主は、上杉定実(うえすぎ-さだざね)ですが、もともとは、上条上杉家出身だった模様で、1503年6月に上杉房能の娘婿となります。
そして、守護代・長尾為景に担がれて養父・上杉房能を襲撃しました。
上杉房能は、上杉顕定を頼って関東へ逃れる途中に、直峰城で長尾為景の追撃を受けて、天水越まで行くと自刃しました(永正の乱)。

黒滝城主・黒田秀忠が、1546年2月に反乱を起こして春日山城まで攻め込みますが、これを長尾為景の4男・長尾景虎(16歳)が総大将となって鎮圧したことで、長尾景虎の武名が越後に轟きます。
この長尾景虎こそ、のちの上杉謙信と言うことですね。

だいぶ話がそれてしまいましたので、越後・上条城の話に戻しますが、この頃の上条城主は上条定憲(じょうじょう-さだのり)で、守護を傀儡化した長尾為景と抗争を続けていました。
しかし、そのあとを継いだ上条頼房のときには、長尾家に恐れて没落して廃絶した模様です。
その上条上杉氏の家督は、上杉謙信の命もあったようで、1571年に、八条上杉家の上条政繁が継ぎ、越後・上条城に入りました。

越後・上条城

上杉家一門では4番目の勢力として、上杉謙信の数々の合戦にて活躍します。

御館の乱のとき、上条政繁は上杉景勝に味方して、武功を挙げています。
ただし、要害地にあるとはいえ、防御力が弱いことから、越後・上条城は一時、上杉景虎(北条三郎)勢に包囲されて落城しています。
しかし、すぐさま旗持城の佐野清左衛門尉によって奪還されました。

1586年(天正14年)、上杉景勝と対立した上条政繁が上方に出奔したため、上条城(じょうじょう-じょう)には村山慶綱が入っています。

また、1600年の上杉遺民一揆(越後の乱)でも、上杉残党に上条城は攻略されました。
その一揆鎮圧後に、上条城は廃城になったとのことです。

なお、国道353号のすぐ西側に、山城となる越後・黒滝城がありますので、越後・上条城は、館として活用されていて、有事の際には黒滝城に籠もったのも知れません。


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交通アクセスですが、JR信越本線・JR越後線の柏崎駅から徒歩約60分となります。

駐車スペースはありますので、クルマで訪問は可能です。
下記が越後・上条城への登城口なのですが、坂道はバイクや軽自動車であれば入っていけて、本丸部に駐車可能です。
普通自動車は入口付近のスペースに止めても、歩いて1分といったところです。

越後・上条城

場所は、当方のオリジナル新潟地図にて場所をご確認頂けますと幸いです。

ちなみに、上杉謙信の実姉・仙洞院は、母が上条上杉弾正少弼の娘ですので、上杉景勝も、上条上杉家の血を継いでいることになります。
越後・上条城の観光所要時間は5分といったところです。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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