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相模・梶原景時館(相模・一之宮館)の解説~梶原景季(梶原景時の嫡男)の活躍も

相模・梶原景時館(相模・一之宮館)

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相模・梶原景時館(相模・一之宮館)

相模・梶原景時館(相模・一之宮館)は、神奈川県高座郡寒川町一之宮にある平城(館跡)で、鎌倉幕府の有力武将・梶原景時の屋敷があった。
現在ある一乃宮天満宮と言うコンパクトな神社が跡地とされている。

相模・梶原景時館

交通アクセス・行き方だが、JR寒川駅の南口から800m徒歩11分ほどの距離。
駐車場は無いので、駅近くのコインパーキング利用となる。
館跡の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂ける。


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梶原景時の屋敷としては、他にも八王子の武蔵・梶原城などがある。

梶原景時に関しては過去に記事にしている。

梶原景時の生涯 最後の住まいであった梶原景時館跡(神奈川県寒川町)

そのため、ここでは梶原景時の嫡男・梶原景季に触れてみたい。

梶原景季

梶原景季(かじわら-かげすえ)は平安時代末期の武将で、1162年に梶原景時の嫡男として生まれた。母は不詳。
梶原氏は鎌倉氏の直系・長江氏に次ぐ格式とも言え、鎌倉氏が所領を増やし派生した同族としては、大庭氏・長尾氏などがいる。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では梶原景季を俳優の柾木玲弥さんが演じらる。

源頼朝が鎌倉に入ると、1181年4月、寝所を警護する11名のひとりに内に梶原景季の名がみられる。
メンバーは、北条義時・下河辺行平・結城朝光和田義茂宇佐美実政・榛谷重朝・葛西清重・三浦義連・千葉胤正・八田知重・梶原景季。
北条政子牧宗親に命じて亀の前の屋敷を打ち壊し、北条時政が伊豆に帰ってしまうと、梶原景季が状況を確認して鎌倉に報告している。


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1184年1月、木曾義仲との対決の為に鎌倉勢が上京する際に、梶原景季は源頼朝に名馬・生食(いけづき)の提供を希望した。
しかし、梶原景季に与えられた馬は磨墨(するすみ)で、佐々木高綱には生食(いけづき)が与えられたため、梶原景季は佐々木高綱を殺害して自分も自刃しようと考えた。
しかし、佐々木高綱は、この馬は盗んだのだ機転を利かしたので、梶原景季も「自分も盗めばよかった」と笑ったとされている。
そして2人は宇治川の戦いにて共に武名を挙げ、源範頼源義経らは木曽義仲を討ち取っている。
一ノ谷の戦いでは父・梶原景時や弟・梶原景高らと源範頼の軍勢に所属して大活躍し、生田森(いくたのもり)にて平重衡を捕えている。
屋島の戦い、壇ノ浦の戦いでは源義経の軍勢に加わっていたが、父・梶原景時と源義経は対立する結果となった。
平家を滅ぼし、京に戻った源義経らは、鎌倉からの許可なく後白河法皇から任官を受けたため、梶原氏も鎌倉への帰還を禁じられている。
しかし、源義経以外は許されて鎌倉に戻ったが、源義経は腰越から京へ追い返されると、梶原景季は源義経の監視を命じられ上洛して報告している。

1189年、奥州征伐の際には、白河の関にて梶原景季が下記の歌を源頼朝に献じた。

「秋風に草木の露を払はせて君が越ゆれば関守もなし」

藤原泰衡は敗走し、奥州藤原氏は滅びた。

1191年、父・梶原景時が侍所の所司に就任し御家人の統制を担った。
<注釈> 所司(しょじ)の中で最高位の者は別当(べっとう)と呼ばれる。
1192年、父・梶原景時は和田義盛に代わって侍所別当に就任。

1199年1月、源頼朝が死去し源頼家が2代将軍になるも、4月には十三人の合議制が敷かれた。
10月になると、阿波局(北条時政の娘)が結城朝光に対し「梶原景時が将軍に讒言し、あなたは殺される事になっている」と告げる。
結城朝光は三浦義村・和田義盛らと鶴岡八幡宮に集まると、中原仲業に糾弾状の作らせた。

梶原一族は鎌倉を去り、相模・一宮の所領(梶原景時館)に入り、翌年、一族で上洛を企てた。
しかし、駿河国清見関で鎌倉幕府に味方する御家人らに襲撃され、父・梶原景時らと共に討死した。享年39。


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静岡・笛田の仏行寺に、梶原景季の片腕を埋めて供養したと言う源太塚があるようだ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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