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相模・久野城(北条幻庵屋敷)とは
北条幻庵屋敷(ほうじょうげんあん-やしき)は、神奈川県小田原市の足柄街道沿いにある「久野」(くの)にある平城(館跡)です。
別名は、北条幻庵居館、相模・久野城、久野屋敷、久野居館とも書きます。
北条幻庵は、北条早雲(伊勢宗瑞)の3男で、側室・葛山備中守維貞の娘が、実家の葛山館にて産んだとされます。
兄で、北条氏2代となった北条氏綱を、北条幻庵は、僧侶として支えました。
ただし、戦国時代の僧は武力も行使することが多いので、北条幻庵もひとつの軍勢を率いる立場であり、数々の合戦にも出陣しました。
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そして、1541年、兄・北条氏綱が亡くなると、3代・北条氏康を、後見するため、小田原の久野に居を構えたのが、この北条幻庵屋敷と言う事になります。
その頃、北条幻庵は、三浦衆・小机衆を配下に加えて、合戦に出陣しています。
また、今川義元が攻めて来ると、北条幻庵は長久保城に入り対抗しています。
1569年、武田信玄との蒲原城の戦いでは、2人の子が討死しています。
晩年は、久野の北条幻庵屋敷にて隠居生活を送ったようですが、北条幻庵が亡くなったのは、豊臣秀吉が小田原攻めを開始する直前の、1589年11月1日とされます。
幻庵屋敷で97歳で亡くなったと言われています。(諸説あり)
すなわち、4代・北条氏政、5代・北条氏直と、1代~最後の5代に渡り、長期間、北条家を支え、長生きした武将でした。
その北条幻庵屋敷の一部が、久野に残っています。
かなり広い敷地だったようですが、現在は「幻庵廟」と庭園の名残とされる「池」だけがある感じです。
なお、箱根湯本の早雲寺の庭園は、北条幻庵が作庭したとされ、和歌・連歌・茶道・庭園・一節切り・鞍鐙作りにおいても、知識が豊富な武将でした。
上杉謙信の養子となった北条三郎(上杉景虎)に代わって、北条氏信の子・北条氏隆(ほうじょう-うじたか)が北条幻庵の跡を継いでいる。
交通アクセス
小田原の北条幻庵屋敷跡へのアクセス・行き方ですが、当方のオリジナル関東地図にてポイントした地点から、細い道を入って、左に曲がった先にあります。
なお、駐車場はないが、道路は細いものの駐車禁止では無かったので、数分間だけ停車させて頂きました。
久野保育園へ繋がる細い道路でもあるため、ご迷惑をおかけしないよう、午前や夕方の訪問は控えて、昼時に訪れてみました。
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