相模・住吉城
相模・住吉城(すみよし-じょう)は、神奈川県逗子市小坪にる平山城・海城です。
城址は逗子マリーナ背後にある、標高80mほどの飯島崎(逗子隧道の上)にあり、現在は住吉神社があるようです。
最初の築城は不明ですが、鎌倉時代に鎌倉を海から守るべく、砦(見張り台)としての機能があったものと考えられます。
明確なのは戦国時代の初期で、小田原城を手に入れた北条早雲が、相模・三浦氏の相模・岡崎城を攻めた際に出てきます。
1512年8月、相模・岡崎城が落ちたあと、三浦義同(三浦道寸)は小坪の相模・住吉城にて籠城しました。
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もともとは、三浦道寸(三浦義同)の弟・三浦道香の居城だった模様です。
ただし、整備されたのは1510年頃の模様で、北条早雲が改修したのを三浦氏が奪い取ったようです。
しかし、1513年、相模・住吉城も陥落し、三浦義同は相模・新井城(または三崎城)に逃れて、約3年の篭城戦となっています。
落城した際、三浦道香は、7騎で逃れましたが、逗子の延命寺にて自刃したと伝わります。
なお、住吉城と言う同じ名称の城跡は、上野・住吉城、常陸・住吉城、阿波・住吉城、肥前・住吉城と多いだけでなく、相模国には住吉要害と言う別の城跡もありますので、混同しないよう注意が必要です。
相模・住吉城への行き方・交通アクセスですが、JR横須賀線・江ノ電の「鎌倉駅」からバスにて「飯島バス停」下車して徒歩10分ほどになります。
トンネル手前を右にそれる細い道を進み、正覚寺背後の山にあります。
正覚寺の墓地を抜けると、住吉神社に続く石段があるようです。
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ちなみに「逗子」と言う地名の由来ですが、弘法大師が行基が作った延命地蔵を安置する「厨子」(ずし)を設けたことから、のちに漢字だけ変わって逗子との事です。
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