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古木江城の解説~長島一向一揆により織田信興(織田信長の弟)が討死

古木江城

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古木江城

古木江城(きこえ-じょう)は、愛知県愛西市森川町村仲にある平城で、漢字は小木江城とも書きます。
最初の築城は戦国時代で、織田信秀の7男(織田信長の弟)である織田信興とされます。

織田信興(おだ-のぶおき)の生年や母は不詳ですが、1565年、滝川一益と共に、弥富・服部党の服部友貞が不在の際に、市江島を占領しました。
そして、市江島には鯏浦城が築かれて、立田輪中には古木江城もできた訳ですが、その両方の城主が織田信興となっています。
伊勢長島の一向一揆の抑えとして、織田信長の命にて古木江城などに入った模様です。

古木江城

1570年9月、石山本願寺と織田家で石山合戦になると、伊勢・長島でも服部党も参加して長島一向門徒勢が蜂起しました。
一向勢は伊藤氏の伊勢・長島城を落したため、桑名城にて籠城した滝川一益は動けず、織田信長に援軍を要請しています。
しかし、織田信長は、浅井長政朝倉義景延暦寺により、大津で足止めの志賀の陣の最中で援軍を送れずにいます。
長島一向一揆勢は、その勢いでまず鯏浦城を攻め、更には、古木江城まで押し寄せました。


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古木江城は6日間耐えたと言いますが、織田信興(織田彦七郎信興)は家臣80名らと櫓にて自害したとも、討って出て討死にしたともされています。

この時の恨みが、1574年、織田勢による長島一向一揆衆の大虐殺になったものと考えます。

古木江城

古木江城跡の周辺は田園風景になっており遺構は残されていませんが、城址にある富岡神社に城址碑が建てられています。
脇には「森川花はす田」もあることから、戦国時代は沼地に囲まれていたものと推測できます。

交通アクセス

交通アクセス・行き方ですが、名鉄・尾西線の佐屋駅から徒歩25分の距離になります。
道路が狭いので、クルマの場合、脇にある「道の駅・立田ふれあいの里」に止めて、徒歩で向かうと良いでしょう。
当方のオリジナル地図「名古屋・北陸」方面では城跡をポイントしています。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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