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土佐・中村城とは
土佐・中村城(なかむら-じょう)は、高知県四万十市丸の内にある標高70mの連郭式平山城で、比高も約70mになります。
土豪の為松氏が築いたとされることから、為松城とも呼ばれます。
為松(たんまつ)家は、中村の有力豪族でしたが、応仁の乱を避けて高知の所領・幡多荘(はたのしょう)にやってきた一条教房が、1468年に中村館(中村御所)を築くと、土佐・一条氏に従った模様です。
土佐・中村城の築城年代は不明です。
なお、土居氏、羽生氏、安並氏と共に、為松氏は、土佐・一条氏の家老となりました。
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やがて、土佐では長宗我部家が勢力を拡大すると、信望を失った一条兼定は、1574年に、羽生監物、為松若狭守、安並和泉守などによって豊後・臼杵城に追放されます。
そのあと、土佐・一条氏は、長宗我部氏の傀儡となり、土佐・大津城へ移されました。
長宗我部元親は中村城に、実弟・吉良親貞を入れて幡多郡を支配しています。
1575年、一条兼定は土佐・中村城を奪還するべく、伊予・宇和島にて挙兵し、伊予の法華津播磨守らの援軍にて中村に入ると、3500の兵となりました。
しかし、長宗我部氏は一領具足も含めて7300にて僅か3日で反撃してきたため、一条氏らは四万十川の対岸にある栗本城に籠ります。
この四万十川の戦いで大敗し、戦国大名としての土佐・一条氏は滅亡しました。
下記の赤い橋があった付近で合戦となりました。
なお、四万十市の方は今でも一条家に対して畏敬の念が強いようで、長宗我部氏は侵略してきた外敵と言う感じのようです。
下記は、土佐・中村城から、中村御所方面の展望になります。
関ヶ原の戦いのあと、山内一豊が高知城に入ると、土佐・中村城には、山内一豊の弟・山内康豊が2万石にて入封しています。
土佐・中村城の山頂部には、為松城跡の碑があり、本丸とされます。
二の丸には、模擬天守となっている四万十市郷土博物館があり、有料見学可能です。
下記の写真は、中村御所から撮影した、土佐・中村城の様子です。
交通アクセス
土佐・中村城への交通アクセス・行き方ですが、土佐くろしお鉄道の中村駅から歩くと、徒歩50分です。
中村駅ちかくの観光案内所で、貸し自転車(レンタルサイクル)を借りて、麓まで来ても良いかと存じます。
無料駐車場の場所は、当方のオリジナル四国地図にてポイントておきますが、北側の道路から登って行ってください。
博物館のすぎ脇は、身障者専用ですが、手前に普通車用の駐車場が5台ほどありますが、アプローチの道路は狭いです。
運転に不安な場合には、北側の麓にある大きな駐車場をご利用ください。
もちろん、中村御所とセットでどうぞ。
・中村御所 (土佐・中村館) 一条教房
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・一条兼定 お雪供養塔
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