富山県

庄ノ城(壇城) 桃井直常と石黒与三右衝門

庄ノ城(壇城)




庄ノ城(しょうの-じょう)(壇城)は、富山県砺波市庄川町にある山城で、庄川右岸にせり出した壇の山(標高136m)にあります。
庄ノ城と言いますと、名前が似ている北ノ庄城と間違えやすいですので、壇城・庄城と書く場合も多いです。
台地全体が城域で、寺家新屋敷館、一乗寺城、松根城、井口城と言う支城群があります。
なお、詰の城は、千代ヶ様城で、現在の三条山展望台とされます。





最初の築城は、正平年間(1346年~1369年)頃とされ、南朝の有力者で足利氏一門でもある越中守護の桃井直常が築いて本拠地としました。
寺家新屋敷館(じけあらやしきやかた)には、家臣と考えられる、田中貞行が入ったようです。

1368年8月、斯波義将が越中国守護になると、能登国守護の吉見氏頼らと共に、桃井氏の討伐を開始します。
1369年、斯波義将の家臣で、鴨城主とされる二宮円阿が、庄ノ城(壇城)を攻めて攻略しました。
桃井直和は、越中・松倉城へと落ち延び、その後、壇・石黒氏が入ったともされています。

戦国時代になり、1510年、越後守護代・長尾為景が長森原の戦いの合戦のあと、一時居住したとも伝わります。
天文年間(1532年~1554年)、越中・木舟城石黒成綱の弟である石黒与三右衝門が庄ノ城(壇城)主となりました。

庄ノ城(壇城)

1576年、上杉謙信の越中侵攻の際に落城すると、石黒与三右衝門は城を捨てたようです。

その後、石黒一族は織田家に従っていましたが、上杉家への内通を疑われて、1581年7月、石黒成綱・石黒与三右衝門ら一族郎党30人は、近江・佐和山城へ出頭を命じられます。
その旅の途中、暗殺計画があることを悟った一行は逃走を図りましたが、近江・長浜にて、丹羽長秀の手勢に追いつかれて粛清されました。

そのあとには、神保氏が拠ったため、佐々成政が攻めて落としたとも言われています。
その時、神保長職の妻が狂死したともされ、「御上様塚」と呼ぶ石碑(供養碑)が、高岡市の瑞龍寺にあるそうです。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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