根知城(ねちじょう)は、新潟県糸魚川市根知谷区にある山城で、標高は370m、比高270mと大変堅固な城です。
実際には、根小屋城、上城山城、栗山城と言う主に3つの城で構成されていて、郭跡17、削平地201、堀切16、竪堀15と大規模になっていることから全体で、根知城と呼ばれます。
西には姫川、東から北にには根知川が流れており、自然条件を最大限に活用した山城です。
最初の築城は不明ですが、城主としては、禰智氏(ねち-し)がいたようです。
禰智大炊助清政、根知掃部助と言う名が見受けられます。
戦国時代になると春日山城の上杉謙信によって改修されたようで、1565年には、上杉家を頼って逃れていた村上義清を根知城主になっています。
村上義清は、根知城で死去しており、伝承では、根小屋の安福寺に墓があるといわれています。
御館の乱になると、根知城主である赤見小六郎・吉江丹波守らは武田家に寝返りました。
結果的に、上杉景勝を助けた武田勝頼に割譲され、仁科城の仁科盛信の所領になったようで、渋田見盛種など安曇野衆が入っています。
しかし、武田家が滅亡すると、再び上杉家の領地として復活しており、西方房家(にいかた-ふさいえ)、桜井晴吉(桜井三助晴吉)、吉江民部少輔、長尾市右衛門尉、山岸豊後らが城主を務めています。
その上杉家も会津に移ると、1598年、春日山城に入った堀秀治の一族である堀清重(堀備中守清重)が根知城主となりました。
しかし、1599年、上杉遺民一揆が発生したため、根知城を破却して、糸魚川の清崎城へと居城を移しています。
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交通アクセスですが、電車の場合、JR根知駅から徒歩5分で登山道入口となります。
勝蓮寺に大手門の遺構とされる石垣があり、勝蓮寺の先から、大手道への登山道の石碑脇から入って行けるそうです。
山頂までは片道約90分くらいの模様です。
登城する場合には根小屋会館の近く(勝蓮寺入口)に5台ほどの駐車場がありますが、今回は、能登に向かう途中、通りすがりの為、遠景だけの撮影に留めました。
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