長野県

天正寺館(仁科氏館) 300年続いた仁科氏の本拠地

天正寺館(仁科氏館)




天正寺館(てんしょうじ-やかた)は長野県大町市大町にある平城で、別名は仁科氏館と言います。
鎌倉時代末期に仁科氏が築いたとされます。
それまで、仁科氏の本拠地は、同じ信濃大町の館之内館でしたが、移転し、戦国時代まで約300年続いたと言う事になります。
仁科氏の居館址としては、東西約170m、南北約110mあり、周囲は堀で囲まれていたようで、2つの格になっていました。





仁科氏(にしなうじ)に関しては、諸説ありますが、大和国の古代豪族・安曇氏の一族が、仁科御厨を本拠として、仁科氏を称したと考えられています。

戦国時代の当主・仁科盛能(にしな-もりよし)の頃には、木崎湖の湖畔にある仁科城(信濃・森城)を拠点としています。
仁科盛政は、信濃守護・小笠原長時から離反し、武田信玄に従いました。
しかし、1561年、第4次・川中島の戦いの際に、留守役の家臣らが、上杉謙信からの調略に乗り、武田氏に抵抗の姿勢を取ります。
そのため、仁科盛政は、甲府に連行され、殺害(自害)されとされます。(仁科氏滅亡)
その後、仁科氏は、武田信玄の5男が、仁科盛信と称して、高遠城に入っています。

天正10年(1582年)に仁科氏が滅亡したあと、遺臣や町衆らが、仁科氏の菩提を弔うため、菩提寺の長性寺を、この居館跡に移しました。
そして、魏州太鎮和尚を開山として1584年頃に、天正院(天正寺)が創建されて、現在に至ります。

天正寺館

本堂正面に「仁科城趾」の石碑や、土塁・堀などがありますが、この日は、台風接近での本降りの雨のため、簡単な撮影に留めました。

天正寺館(仁科氏館)への交通アクセス・行き方ですが、JR信濃大町駅からですと、距離1300m、徒歩18分ほどになります。
クルマの場合には、天性寺の駐車場が利用できるようです。
ただ、北側から入ると、道は狭めです。
当方のオリジナル関東周辺地図もご参照賜りますと幸いです。

仁科城(信濃・森城) 仁科盛能と仁科盛政
小笠原長時~信濃守護の戦国大名
仁科盛信とは【高遠城の戦い】武田滅亡に向かうなか一矢を報いた猛将
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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