富山県

阿尾城 日本海に突き出た要害を前田慶次郎が守備

阿尾城

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阿尾城(あお-じょう)は、富山県氷見市阿尾字城ヶ崎にある、日本海に面した標高46mの丘城(海城)、陸側からの比高は35mほどになります。
別名は、氷見城、青城、青生城、青野城とも呼びます。
能登へ向かう街道と、海上交通の両方をおさえる要衝と言えるでしょう。


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最初の築城は不明ですが、戦国時代の天正年間(1573年~1592年)には、菊池武勝(菊池伊豆守武勝、菊池右衛門入道武勝)と菊池安信(菊池十六郎安信)の親子が阿尾城に入っていました。
この氷見・菊池氏は肥後・隈府城主として名高い、菊池氏の一族だとされます。
なんでも、兄・菊池武平が討死して、その弟である菊池武勝(きくち-たけかつ)は肥前の高来から放浪の身となり、上杉謙信に拾われた模様です。
そして、織田家との戦いで戦功を挙げたため、阿尾城を任されたと言う感じみたいです。

阿尾城

氷見・菊池氏は、当初、上杉謙信に従っていましたが、織田信長と結ぶと富山城に入った佐々成政の与力になったようです。
本能寺の変にて織田信長が横死すると、佐々成政と対立した前田利家に寝返りました。

阿尾城

このとき、佐々成政は8000にて富山城から出撃すると、能登・末森城を攻めました。
この際に、前田慶次は前田利家の配下として救出戦に参加し佐々勢を撃退しています。
ただし、佐々勢は阿尾城も攻撃しており、菊池氏は佐々勢に明け渡しています。

阿尾城

そのため、前田利家は前田慶次と阿尾城を奪還し、佐々勢の阿尾城放火作戦も撃退しました。
前田勢が金沢城に戻る際に、一時、前田慶次郎は阿尾城主を務め、佐々成政配下の神保氏張が5000で再び攻撃してきた際には、少ない兵にて防戦し、近くに見廻に来ていた村井長頼の300と共に撃退しています。

阿尾城からの展望

能登の菊池氏は、前田家から安堵された所領は1万石とも言いますので、なかなかの勢力でして、近くの海老瀬城も所領だったようです。
菊池武勝の弟・菊池豊後守正義は、陸奥の南部氏を頼って鶴ヶ崎順法寺城を与えられたともあります。
1597年頃、阿尾城から金沢城下に移ったようで、越中・菊池氏は、江戸時代も引き続き前田氏に仕えましたが、阿尾城は廃城になった模様です。

阿尾城

なお、いつ頃かは不明ですが、城生城主・斉藤氏の子が、前田利家の命により、阿尾城の菊池右衛門入道武勝の娘と結婚して婿入りしています。
そして産まれた子供が菊池大学となり、加賀藩士として見受けられます。

阿尾城の案内図

現在、越中・阿尾城の城跡は白峰社と榊葉乎布神社の境内になっており、散策が可能です。


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交通アクセス・行き方ですが、JR北陸本線・高岡駅から加越能鉄道バスの「脇」行きに乗車して45分、阿尾バス停下車の徒歩5分となります。
麓に無料の駐車場がありますので、当方のオリジナル北陸方面地図にてポイントしておきます。

阿尾城

阿尾城の見学所要時間は20分~30分くらいといったところです。
このあとは、七尾城に向かいました。

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能登・末森城 土肥親真 能登の末森城の戦い
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金沢城を一周するポイント 尾山御坊跡
越中・朝日山城 (氷見城) 鞍川清房・鞍川清経
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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