越中・安田城(やすだ-じょう)は、富山県富山市婦中町安田にある、別名は安田塁と言う平城で、国の史跡に指定されています。
最初の築城は、発掘で出土した物から、鎌倉時代の後期には、在地武将の居館として本丸があったと考えられています。
その後、戦国時代の1585年に大きく改修されました。
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佐々成政が富山城に籠城して、豊臣勢の大軍を迎え撃つ際に、織田信雄が入って指揮をとったと考えられる、近くの越中・白鳥城の支城として、大峪城などと共に整備されました。
井田川の水を引き込んだ水堀で囲った、本丸・二の丸・右郭の三郭による連郭式平城であり、本丸の端っこが欠損している以外、改変がほとんどありません。
当時の最先端技術による姿がそのまま残っているような貴重な城跡になっています。
前田家の岡嶋一吉(岡嶋喜三郎一吉)が越中・安田城主になりました。
その後、前田領となり、1597年に前田利長が、越中・守山城から富山城へ移ると、岡嶋一吉と片山延高が越中・白鳥城を任されています。
しかし、山城はもはや不要な時代となり、そのあとは越中・安田城に移動したようです。
1599年、前田利家が死去すると、前田利長は金沢城に戻ったため、岡嶋一吉も従ったようです。
そして、代官・平野三郎左衛門が入りましたが、やがて廃城になったと考えられています。
現在、土塁や水濠が復元されており、資料館も設置されています。
越中・安田城への交通アクセスや行き方ですが、JR高山本線の速星駅からタクシーで5分となります。
安田バス停からは、徒歩5分程度です。
無料駐車場が50台ほど完備されていて、とても見学しやすい貴重な城跡になります。
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