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越中・高岡城とは
越中・高岡城(たかおかじょう)は、富山県高岡市古城にある平城で、国の史跡、日本100名城に選ばれています。
なお、高岡城と言う城も日本各地にあるため、便宜上、ここでは越中・高岡城と明記させて頂きます。
越中・高岡城は、江戸時代に入ってから築城された新しい城になります。
1605年、120万石の加賀藩主・前田利長は、富山城に入って隠居生活を始めました。
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しかし、1609年に、城下町で発生した火災により富山城のほとんどが焼失します。
一時、魚津城に移動した前田利長は、江戸幕府の許可を得て、関野の地に越中・高岡城の築城を開始したと言う事になります。
当時、キリシタン大名として追放され、15000石で前田家に世話になっていた、高山右近が縄張り(設計)を行ったとされますが、まぁ、多少は手伝いもしたのでしょう。
高山右近の高槻城、船上城などとは、類似性が見られません。
築城奉行は神尾之直らが担当し、資材は小塚秀正らが集め、前田利長は魚津城から指揮したようです。
そして、住める状態まで工事が進むと、前田利長は越中・高岡城に入り、地名も高岡と改めました。
下記は本丸跡にある前田利長の銅像です。
城跡は高岡古城公園になっており、約1800本の桜がある名所として日本さくら名所100選にもなっています。
ソメイヨシノを中心に、コシノヒガンザクラ、エドヒガンザクラ、ヤマザクラなど18種もの桜があり、例年ですと、例年4月上旬~中旬が桜の見ごろで、高岡桜まつりが開催されます。
本丸、二の丸、三の丸、明丸、鍛冶丸の五つの郭になっており、それぞれは水堀で独立した梯郭式平城で、いわば富山城の発展タイプと言えます。
ただし、1615年、一国一城令で廃城になったため、天守や櫓があったのかどうかは不明で、建物で現存するものはありません。
廃城後は、高岡町奉行所が置かれ、加賀藩の米蔵や火薬庫などがあったと言います。
北側よりお堀巡り遊覧船も出ており、利長号・利常号に乗船することもできます。
約25分の優雅な小舟の旅のようです。
築城時とほぼ変わらない曲輪と水堀が残っており、水濠も埋め立てられることなく、当時のまま残されていますので、迫力があります。
高岡は、ドラえもんで良く知られる、漫画家の藤子不二雄さん両氏の出身地でもあります。
下記は、越中國一之宮「射水神社」です。
日本100名城スタンプは、高岡市立博物館の新館入口に設置されているようで、閉館時間には屋外に出されていて、24時間、スタンプを押せるようです。
越中・高岡城への交通アクセス
交通アクセス・行き方ですが、JR高岡駅の古城公園口から、徒歩約15分となります。
クルマの場合、北口駐車場と小竹薮駐車場が無料で利用可能です。
駐車場の場所は、当方のオリジナル地図にてポイントしてあります。
なお、無料の駐車場になっていますが、有料駐車場のように管理人さんが常駐しています。
しかし、そのまま駐車場に進入して、空いているところに止めて大丈夫です。
ただし、管理人さんが出てきて、駐車する車のナンバーを控えます。(最初、有料なのか?と焦りました。)
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越中・高岡城の見学所要時間ですが30分~60分といったところです。
城下町には二つの重伝建(金屋町・山岡筋)があり、風情ある街並みが残っています。
越中・高岡城の近くには、奈良・鎌倉につぐ日本3大仏に数えられる「高岡大仏」、瑞龍寺などの観光スポットもありますので、必見です。
・魚津城 上杉勢13人の武将が自刃した魚津城の戦い
・富山城 続日本100名城 神保長職と神保長住
・前田利長の生涯【加賀百万石を築き兼六園や北陸文化を残した名君】
・日本全国のお城マップ(オリジナル)
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